ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

マスコミ人の教育

『シン・ゴジラ』は学校推薦映画である。家庭との連携って、簡単に言うなよ。

知人来りて嘆いて言うには。 家庭には家庭の領分があり、学校には学校の領分がある。それをはっきりさせて、責任の範囲内のみ、責任を負うのが筋である。以前流行った「家庭と学校とが連携する」旨は、聞こえは良いが、責任の所在を不明にし、互いの判断を鈍…

テレビは魔物、大嘘の塊。テレビ芸人の口真似をして、教員は嬉しそうである。

悪い見本、という言葉がある。子供が身近な大人を見て、とくに親を見て育つのは当然で、親のわりには、いい子が育ったなあ、なんて感心することは滅多にない。だいたいは、親以下同文である。だから、親自らが、今すぐ立派になれ、なんて野暮は言わない。 そ…

授業はゆっくりがいいのか。嫉妬、ジャーナリズム、お手軽な講演会。読解力と国語の授業。

ある人曰く。 人は、嫉妬から逃げることはできない。嫉妬のもっともわかりやすい例は、共産主義である。あれは、優れた人間、優秀な才能に対する嫉妬から出た陰険な思想である。今から何十年か前、全国の大学の経済学部では、まことしやかに、搾取だの資本主…

日本愚民化政策は、テレビと教育の二つからである。

某人が言うには。 日本人を、小さな生活のささやかな平和ごっこの中に閉じ込めておくためには、二つのアプローチがある。1には、マスコミ、特にテレビと新聞とを使って、国民から批判力と論理的思考力とを奪う。2には、教育を不安定で筋の通らないものにし…

教員や国会議員は、何事も、「させていただく」のか。だったら、「辞めさせていただく」がいい。

某日、某コーヒー店のラジオから、だみ声で不仕付けに流れる参議院予算員会中継を漫然と聞いていると、質疑する議員が「させていただく」の連発である。「先日、熊本の被災地へ行かせていただきました」「何々の問題について、調べさせていただいて」謙譲語…

美しい日本語を話すことは、時代遅れである。他人の意見を遮る「討論番組」の芸人たち。

あのNHK等のテレビ放送。そこから聞こえてくる日本語の卑しさ、不快、劣悪にして唾棄すべき音声、言い回しのごみ溜め。ゆっくりしゃべると、内容空疎で出鱈目なことが、ばれてしまうからだろう。口角泡を立てて慌ててしゃべり続ける。煩い。やかましい。下品…

NHK等マスコミ関係者の教養のなさ、問題意識の薄さ、自己欺瞞、軽率、痴呆の理由は、まさか、学校教育にあるのか?

常々疑問に思うことがある。日本のマスコミ関係者の、度を越した無教養、意気地なし、無節操、無定見、ひとりよがりの傲慢は、いったい、どこから生まれるのだろうか。私たちは、ネットや他の媒体を通じて、世界のマスコミを目にすることができる。公開情報…

NHK受信料 最高裁判決は、NHKの終わりの始まりなのか。放送法の全面改定。

NHK職員は、仕事内容に不釣り合いな高額給料を得ている。職員の採用条件や基準が曖昧で、人種年齢構成や給与体系を明らかにしていない。他ではありえない特別待遇である。一昔前までは、クーデターを起こした軍部は、まず放送局を占拠した。そこから、国民に…

自分を見せたいのはみんな同じ。教員の執念、テレビタレントの害悪。スマホをピコピコ。

夏休みは、子供は学校に行かない。ならば、こちらから出向いてやる、とばかりに、「学級だより」のプリントを、夏休み中、毎朝、届けてくる教員がいた。雨の日も風の日も、自転車で学級の子供たち全員の家のポストに投函してくる。その執念恐るべし。肝心の…

ニュースコメンテーターや政治教育等評論家は、卑しいテレビ芸人である。マスコミを妄信する国民には、そのレベルの指導者がお似合い。

市民なりの政治、国民なりの指導者、という言葉がある。政治家を批判し政府を非難し、為政者を馬鹿にしたつもりになっても、無駄である。あんな連中が議員であるのは、選挙民がそのレベルだからだ。議員も、国民のひとりである。国民以上の「政治家」がいる…

授業のやり方はNHKに学べ。NHK大好き、夏休み子ども電話相談室の素敵な言葉遣い。

教員の指導力を高める、とかで、各地で色々な「取り組み」がされているようだ。授業が上手と「評価」されている中学校教員の、実際の授業の一部を、N某局で放送していた。「子どもの注意をひきつける」のだそうで、まずセサミストリートの真似事をする。チョ…

教育の敵、マスコミは愚劣な扇動者、テレビは悪そのものである。

学校は、情熱の嵐ならぬ、饒舌の嵐である。無駄口ばかりたたく。子供が家庭に持って帰るプリントが多すぎる。何かと見れば、内容は各種団体のたわいもない宣伝である。保護者向けの「お知らせ」という形のプリントもある。「学校便り」に「学年便り」「学級…

お前の仕事をしろ。教員も政府もマスコミも、何者かを配慮し忖度し遠慮する。

新卒ほやほやの新米教員は置くとして、30代40代の、仕事に慣れたはずの教員も、やはり、保護者にびくびくして毎日を過ごすようである。その一例が、学年通信という代物で、よせばいいのに、毎月、きまりきったことを、プリントして配布する。もう、読んでは…