ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

私立高校の怠慢が身を亡ぼす。私立高校や公立高校の「不本意入学者」。

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公立学校は親方日の丸だから、教職員(教育公務員)の身分は安泰である。勤務校が、統廃合その他の理由で、消えてなくなっても、転勤すればいいだけのことである。

勤務校の閉鎖は、行政の判断だから、教員個人からすれば、一つの「思い出」にはなっても、無関係である。責任を感じなくても済む。学校経営の主体は、地方公共団体または国である。教職員個々人が、仕事を失うことにはならない。

一方、私立学校は、創立者(経営者)が勝手に決めた建学の精神とやらがある。採用、昇進、人事すべてが、各学校の好き放題ができる。その代わりに、独立の私企業である。中には、中小の零細企業と似たような資金繰りの場合もあるので、被雇用者の身分は、常に保証されているとは限らない。

ところが、困ったことに、勤務している本人は、私立高の裏側の実態を、自覚していないし、自覚したくない。教員としての身分は安泰だ、と勝手に勘違いしたがる。
私立学校が、特に大学や高校のそれが、学校によって浮き沈みがあるのは、学校経営者の無能というより、私立学校教員の油断と怠慢に、ほとんどの原因がある。

親は、金を払って、子供を私立学校に行かせている。趣味ではなく、将来への投資である。
その投資に見合った結果が出なければ、いまさら退学させるわけにもいかないから、一応、卒業はさせるが、怨念は残る。噂は風のように広がり、いずれ、学校の評価が下がり、弛んだ実態が明らかになるだろう。
そうなると、年ごとに、入学希望者が減る。受験生の数が激減して、非常事態である。
理事会一同、真っ青になっても、もう遅い。
一度落ちた評価を元通りにすることは、評価を上げ続けることよりも、もっと難しい。

私立学校の役目は、いったいどこにあるのだろう。
例えば、公立中学校卒業生の進学先は、
国立大学付属高校、公立・私立の高校、国立専門学校、私立専門学校、私立大学付属高校他、種々あるけれども、多くは、公立高校または私立高校に行く。

第一希望が公立高校の場合、ほとんど希望通りに進学できる。運が悪かった場合を考えて、進路指導担当は、極力、浪人を避けたいので、ランク下の私立高校を受けさせておく。子供本人からすると、いわゆる不本意入学者である。
子供本人が、納得したかどうかは不明だが、現実に大きな混乱もなく、第二希望だった私立高へ入学する。公立校の試験に落ちたのだから、仕方のないことだと、割り切ることができたのだろう。

しかし、当該私立高校の在校生が、公立高校の不合格組、不本意入学者ばかりになってしまったら、学校内の士気は落ちるのではないか。
これは、私立高校に限る話ではない。公立の場合も、実力以上の高校に受かることもあれば、石橋をたたいて渡ったのに、落ちることもある。落ちることを極度に心配して、数段下のランクの公立高校を受ける場合もある。これも、不本意な進学であろう。
結局は運である。または、本人の中学3年間の毎日の努力如何の結果である。嘆いても詮無きことかもしれない。その場その場で、次の段階への努力を続けることが大切である。

 

ところで、どういう魂胆からか知らないが、私立高等学校の授業料が無償化に近づく。私立離れを防ぐための姑息な手段だが、年間授業料を考えたことがあるのか。すでに、公立高校は月1万円、私立でも月3万円程度である。私立3万を、安いとみるか高いとみるかは人それぞれだが、一流校なら安すぎるし、そうでない私立校なら高すぎる。

他に高等学校奨学給付金という制度がある。授業料以外の雑費だが、これは対象が保護者である云々。

教育実績のほとんどない、経営の杜撰な私立学校は、潰れるに任せればいいのではないか、というお話である。