ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

学校選択制は失敗か。「公立」の中高一貫校は、まだまだ増え続ける。

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公立小中学校の学校選択ができるようになって久しい。
この制度は、十分に定着したのだろうか。

選択制は強制ではなく、地域によって異なるし、一度選択制を採用したものの、元に戻す例もある。
学校格差が出るだの、教職員の負担増加だの、選択の理由があいまいだの、もっともらしいことを言っているが、親子で相談して、行くべき学校を選んで何が悪かろう。

学校選択の欠点なんてない。望ましいに決まっている。
公立中学校の長年の怠慢は明らかで、十代の子供の、貴重な三年間の墓場だった。
教員がお粗末ばかりではない、授業内容、部活動、高校入試対策等、粗雑すぎる。なっていない。
大本の法制度からして問題がある、と気づいている人も多いが、これは、すぐには変わらない。


学校の選択は、小さな一歩だが、大切な一歩である。これによって、地域の公立小中学校間に少しは競争が生まれて、ようやく公立でも、学力向上に効果のある授業が、成立するようになるかもしれない。

ところで、新自由主義は金持ちをますます金持ちに、貧乏人をもっともっと貧乏にさせる政策である。TPP等もその一環で、どうせ多くの日本人にとって、ろくなことにはならない。しかし、資源脆弱な日本は逆らうことができないだろう。

学校の自由選択性も、新自由主義の範疇だが、学校選択そのものは、まっとうなことである。
もっとも、「学校の特色ある教育活動を考えて自分の行きたい学校を選択」云々であるが、どうせたいした「特色」があるはずがない。保護者も子供も、粛々と授業ができている学校なら、それだけで万々歳である。


学校は独立企業のようなもので、隣町の中学の評判がすこぶる良くても、近所の中学は荒れて最低ということもある。親にとって、子供をどこに通わせるかは、思案のしどころである。
中高一貫の私立中学があり、少ないながらも公立の中高一貫校もある。
どこに行かせたいのか、行かせることができるのか。

かつて、転勤族の妻は、夫の転勤先に一足先に来て、市中のどの学校が評判が良いのか聞いて回った。狙いが定まったら、その学校区に住居を決めた。

親子にとって、転入先をどの学校にするかは、大問題だった。今では、選択の幅が広がっているから、ますます、慎重になる。
そんな馬鹿な、大げさな、と言う人は、実態を知らないのである。
トンでも学校は、数多く存在する。一方、評価の高い学校は市内に一つか二つしかない。しかもそれが年ごとに変化するからややこしい。
トンでもを選んだばかりに、散々なことになった転入生は、多いのである。

世間に出れば、色々な連中と付き合わなければならないから、どのような学校学級でもちゃんとやればいい、または人並みにやればいい、なんていうのは、恰好だけの話である。放り込まれた子供の身になってみろ。親が子供の転入先に定見を持っていないのは、あまりに無責任である。


公立高校のレベルが著しく低下している県では、あわてて、とってつけたように、中高一貫の県立高校を設置した。
各公立小学校から、学業成績もまあまあで、教員受けの良い「真面目」な子供を選抜して、入学させる。公立でありながら、高校入試を気にせずに大学受験を目指して鍛えるという、親にとっては、安上がりで、お楽しみな学校である。
子供を選んで、教育事務所お気に入りの教員達に教えさせたら、レベルがすぐに上がるのではないか、と安直なアイデアである。

 

実際、どのような学校でも、ある種の教員にとっては、子供の学力を上げるのは実にたやすい。
にもかかわらず、子どもの学力の向上が難しいのは、子供の学力をうっかり上げると、その教員をねたみ、そねみ、憎しみを抱く親や同僚がいるからである。泣く子も黙る「差別」というタブーに触れることにもなるからである。
公立小学校では、学力を思う存分つけることができない。低レベルのごっこ遊びで、お茶を濁すしかなかった。今もそうだし、これからも、そうだろう。

どんな地域の学校や学級でも、優秀な子供は、稀にいる。その子を集めて、公立学校の枠内で、遠慮なく鍛えることは、面白い試みであるが、一部の教員組織や親にとっては、これほど不公平な話はないだろう。
公立の中高一貫校に反対しないのは、当該校に入学する子は、どうせ物好きな子供だから、と納得しているのだろうか。 
不思議な現象である。

あれはおそらく、自分の周りの子供が行っていないから、嫉妬のしようがないだけである。あるいは、大学進学結果が出るのが先の話だから、反対のしようがないのである。
しかし、どうせ6年なんてあっという間だ。そのときに、もだえ苦しむかもしれない。
それが嫌なら、今からでも遅くはない。
小学校から「できない坊主」と「できる子」あるいは「やる気のある子」とは、歴然と区別して学級編成するべきだという内容を、陳情メールなり、教育事務所への「ご意見」投稿なり、学校へ乗り込んで関係者に話すなり、その他種々の手を打つなりするがいい。

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月日が流れた。

現在は選択制はどうなっているのだろう。なんだか、不振である。これは地域の学校がよくなったということではなく、親子に選択するほどの元気がなくなったのである。理由はお分かりだろう。日本全体の落ち込みである。はっきり言えば、景気が悪い。


公立の中高一貫校は、そのほとんどが失敗だった。
期待していた成果に、ほど遠いようである。しかし、予算が不思議にも余っているのか、役所流のポスト増数の狙いからか、今でも、
わけのわからない特色を宣伝して、新しく開校される話をよく聞く。いずれ収まるところに収まるのだろうか。

 

 

 〇 唐突だが、刑法である。文章がいい。初版当時は、内容よりも、その書き方に批判もあった。しかし、今でも、論文はこういう書きっぷりがいいのではないか。

刑法綱要総論

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