ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

オッパイ吸われて。娘と父の性行動。小津安二郎 晩春。

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以下は、知人の話である。

 

50過ぎの独身女性が、こう言った。いかなる話の流れであったのかの詳細は避けるが、確かに言ったのである。
父親からおっぱい吸われて、気持ちいい~。

父は、小学生高学年の自分に「ある行為」をした。何をしたかと言えば、オッパイを吸ったというのだ。
それであなたはどんな気持ちだったか、と気色ばんで問うと、「大好きな父親だから、気持ちよかった」と言う。

どう考えてもおかしい。嘘なのか、それとも、何処か緩んでいるのか?
しかし、この女性は、立派な社会的立場のある、表向き常識人である。

どうもわからない。いったい父親は、自分の娘に欲情するのであろうか。
それが、するのである。強くするのである。

しかしながら、娘に対して性的欲動を感じたとしても、実際に性行動をしてしまうか、それとも、思いとどまるかで、父子関係としての親なのか、単なる欲情過多の男なのかが、別れる。

世間の父親は、そんなことはしない。してはいけないことを知っている。

しかしながら、一部の父親は、それを大きく逸脱する。娘の身体に欲情して、触る吸う接吻する、ついには性交するものまで出てくる。
あろうことか、それを権利だと主張するバカ者までも出てくる。

そういう男は意外にも(あるいは当然に)、教員にも多い。

 

多くの例を、先日、知人から事細かに、聞いた。

げに恐ろしき肉欲である。恐々謹言。

 

いくつか付け付け足す。

小津安二郎の『晩春』では、娘の結婚が決まって、父と娘とは、最後の旅行に京都に行く。二人で泊まる部屋の床の間に置かれた壺の意味するところは、映画の文法に詳しい人ならば、よく理解できるだろう。

 

かつて、娘の結婚に反対し、とうとう結婚が決まったことを大袈裟に嘆く父親に向って、それほど娘をそばに置いておきたければ、実の娘と結婚するほかはない、などと揶揄した言葉があった。現在では、娘に異常に執着する父親は、ごく珍しいだろう。それとも、執着すること自体が、父親の一種の演技だったのかもしれない。

 

そういえば、同じく小津の『秋刀魚の味』は、今度は娘の方が父親のそばを離れたくないという設定だった。名人小津は、多くの作品で、父子関係を上品かつ芸術的に表現した。巨匠の所以である。