ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

現代教育の指導と実際

小学校教員は「何でも屋」。いつまでも熟達せず。無能校長の大きな実害。

教員には、能力不足の者が多すぎる。けれども、悪党は少ない。「管理職になりたいです」と、すぐに顔に出る。ようやく教頭、校長になったはいいが、これがまったく無能である。 人事発令は教育委員会である。いわゆる「任命責任」があるから、責任逃れのため…

女子学生に手を出して、自殺させても知らんぷり。ごく潰し大学教員の「見立て」コロナで受益。

小中学校の教員は、授業でも休み時間でも、子供の発信したすべての兆候を、見逃すまいとする自覚がある。高校や大学の教員は、子供の変化に鈍感である。変化を見抜いて対処することは、教員の仕事の肝要である。医者でいえば、見立てである。素早く正しい見…

日本の小中学校の教員は世界一、なはずなのに。文科省の失態と無理をする先生たち。

今は昔の物語。 ーーーー 教員は、端から見るほど楽な仕事ではない。今どき、教職が楽だろうなんて誰も考えていないだろうが、場合による。 ある人にとっては苦しいが、またある人にとっては、楽園である。教員は、お人好しで、世界が狭く、単純で、のぼせや…

文科省の外国崇拝。徴兵、ヒラリー、トランプ大統領。

親の小言と冷や酒は後で効く、というが、近頃の親は、小言を言わない。言ったとしても、愚痴である。小言をしようにも、その自信がない。 何事かを言うには、物の道理を知らねばならないが、そもそもの道徳や常識がぐらついている。人種のカオスのアメリカで…

全国休校、授業中止、今こそチャンスだ。生きる力、アクティブラーニング、自主性、とやら、存分に発揮してみろ。

どうもよくわからない。 高学年の小学生の子供を持つ親が曰く。 私がフルタイムで働いているので、子供だけで家においてはおけない、と。 これまた奇怪なことを言う。 子供が昼間、家で過ごすことの、いったいどこが問題だというのだろう。子供が家にいるの…

相手を見て、指導する。荒れた学級は、子供の知的興味に訴える。

子供は、誰もが背伸びをする。子供は挑戦したがっている。現在の自分より少し上を常に望んでいる。なかなかの自信家であり自尊感情が強い。 子供に、知的な興味関心を育てることは簡単で、対象を子供に提示するだけでいい。もっとも、こんな簡単なことでも、…

いじめ男子を排除する。甘い顔でおもてなし、大概にしておけ。

学校の問題は数あるが、いじめは大きな問題である、とされている。 他人からうけた行為を、いじめと感じ、それにめげてしまうか、避けて通れない経験と観念して受け流すか、対峙して対抗策をとるのか、等々の対応は、人それぞれである。もっとも、子どもの場…

医者が、死ぬまで医者なら、教員も同じこと。 芯のない教育で、子供を迷わせてばかり。

夕涼みである。知人来りて言うには。 近頃の校長は変わっている。校内で、教職員が「校長」と呼ぶと、怒り出す。「○○校長先生」と呼ばないと機嫌が悪い。教頭も以下同文で、同僚教員が「○○教頭」と呼ぶと、ぷいと横を向く。「○○教頭先生」と言ってやらないと…

不登校の原因は、子供の甘えか、教員の見て見ぬふりか。何事も、自分次第である。

不登校という現象は、かつてあったし、今もあるし、これからもあるだろう。不登校の子供がいた場合(大学生の場合は、これは怠学と判断される。すでに法的な大人である。自分で責任をとるがいい)、以前は、学校が恐縮して、さも申し訳なさそうな素振りをし…

教育の国家統制とアメリカによる持続的占領。しかし、アメリカは良い国ではある。

居酒屋にて ある人曰く。 学校教育を、国家が一元的にコントロールするのではなく、地方に任せる方がいいという意見がある。教育の国家統制があるとはいえ、それほど強いものではない。どうせ、役所仕事である。 地方地方と自治を叫んでも、地方もけっこう頼…

坂本龍馬はテロリストなのか。教育は変わらない、変えてはいけない。

子供が変わった。社会も変わった。と、誰も彼もが、口を揃えていう。たとえそうだとしても、だから学校も変わるべきだ、というのは、ずいぶん変な話である。少々では変わらないのが、変えてはならないのが、文化伝統である。学校も一種の文化である。それが…