ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

日本の小中学校の教員は世界一、なはずなのに。文科省の失態と無理をする先生たち。

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今は昔の物語。

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教員は、端から見るほど楽な仕事ではない。
今どき、教職が楽だろうなんて誰も考えていないだろうが、場合による。

ある人にとっては苦しいが、またある人にとっては、楽園である。

教員は、お人好しで、世界が狭く、単純で、のぼせやすく、熱心で、ナイーブな人々である。
万人いれば、特質も万別なので、単純には割り切れないが、傾向として。


さて、仕事への全体像が把握できずに、ごたごたと苦しんでいる教員が多い。
勤務時間を長引かせるようでは、昼間のストレスが解消されない。疲労が重なって、ついには、ダウンすることが予想できるのに、かまわずに突っ走ってしまう。
その挙げ句、病休、退職、悪くすると病死、自殺等もある。
それもこれも、イマイチ、大人になりきれない人(子供相手の仕事だから当然ではあるが)や、他人から言いつけられたことを、是が非でもやり遂げようとする生真面目人間や、教職にロマンチックになりすぎて、自己愛の域まで達している人、その他様々である。いずれも、学校だけで、自分の時間をすべて使い切ってしまう人である。
目前の仕事にめいっぱいで対応することが、仕事熱心、教育熱心であるかのように、自分でも信じ込み、他人にもそう思わせたいのである。
偉大なる錯覚である。

困ったものだが、世間はこれを許す、むしろ歓迎する。
頭が働かず、ばたばたとあわただしいばかりの教員を、熱心な「よい先生」だと、勘違いしているので、本人もますます泥沼に入り込んでしまう。

子供からすると、こんな教員が一番迷惑である。

教員の仕事は、子供に学問の基礎を叩き込み、方法論を手ほどきすることである。教員自身が、舞台で下手な踊りをすることではない。

教員の善意あるドタバタ悲劇を、目を背けることもできずに、無理矢理見せられる児童生徒学生こそ、うんざりであろう。

事情は、外科医の手術と比べると、わかりやすい。
熱心な藪医者よりは、卓越した技術経験を持つ執刀医のほうが、患者は安心である。鼻歌交じりで執刀したかどうかは、あまり関係がない。
顔面蒼白で、メスを持つ手が震える「人格者」の医者よりは、技術の余裕のある「名医」に任せた方が、手術成功の確立は、よほど高いのである。


教員には、ずいぶん無理をしている人が多い。
無理の度合いは、中学教員がもっとも大きい。無理とは、自分を実力以上に他人に見せよう、自分でも実力があると信じたい、という意識のことである。

小学校教員は、無理をするも何も、仕事そのものが、汗だくの泥仕事である。無理をしなくても、無理はすでに目に見えている。人前で飾って無理をする必要なんてない。つまりは、実力相応だから、無理がないとも言える。

高校教員は、高等学校という変な「プライド」を背負うから、これまた無理をしない。無理をするほど仕事に危機感を感じていない。大学教員の次にお気楽な商売である。ただし、これも教科によるし、本人の知的レベルにもよるから、相応の無理をしている高校教員も多いことだろう。

大学教員には、そもそも、無理をするという感覚がない。
「好き勝手に、のんびりと、ほどほどに」が、日本の大学教育である。大学教員として安楽に時間つぶしができない者は、そもそも大学教員としての処世術を持たない教員である。これは論外とする。

中学教員が、一番無理をしていることになるが、仕事でなら、まだ救いもあるが、そうではない。気持ちの上で、無理をする。無理に自分を飾ろうとする。
女性教員に多い。
公立中学校の場合、女先生は男先生よりも、圧倒的に不利である。生徒がなめきってしまう。それを跳ね除けようと、変な男言葉と態度とが身につく。強いおばさんを演技できない教員は、卑屈になるか、卑怯になる(ことが多い)。
女教員が、男教員よりも、有利な場合もある。女先生の容姿容貌が、中学生を美的に威圧する場合である。滅多にないことだろうから、ここでは論じない。
さて、女先生は、生徒になめられると、授業が成立しない。それは困る。
同僚に対しても、無理をする。仕事ができない女と嘲られたくない。
だが、現実に授業は成立しにくいし、生徒の学力向上が、なかなか見えてこない。
無理が進んで、保護者に対してまで、敵対する。口の利き方を知らない。かえって居丈高になる。
校内での指導の言動が、自分の背丈にあってないのに、自分で気づかない、気づきたくない。

女先生についてだけ、厳しいようだが、そうでもない。

男先生も同様で、子供への指導が下手、というより、肝心の授業がなってない者が多すぎる。

とはいえ、辞めるわけにもいかないこと、すべての勤め人と同じことである。

教員だけではない。仕事で求められる力と、本人の実力との齟齬がない人間なんて、皆無であろうことは、先刻ご承知である。あなたの会社でもそうだろう。
しかし、日本の小中学校の教員が、実力がないとしたら、世界中、何処に行っても、これ以上実力ある教員なんて、いやしない。どちらにしても、日本の義務教育期の先生は世界一なのである。であるのに、人材育成にこれほど躓いているのは、文科省の責任である。

以上は、教員を批判するために言うのではない。
授業よりも、騒ぐために学校にやってくる「ろくでなし中学生」ばかりが増えた。その原因である家庭と、そして、教育行政の失策とを、言っているのである。

 

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とまあ、こんな話である。