ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員採用試験は楽勝でも、教員になるのは難しい。笑いのある授業。

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「速度」が良い授業の条件だ、と以前に書いたと思うが、速度とともに必要なものは、笑いである。

授業には笑いがなければならない。この意味では、女性教員の過半数は問題だ(性差別ととってもらっては困る。今時、女性だ男性だと、言うことさえ愚かしい)。彼女らはまじめだが、それだけに四角四面で、笑いがない人が多いようだ。このことが、多くの女性教員の授業や学級が、荒れる原因となっている。特に男子には、笑いのない授業は耐えられない。
試みに、評判の良い授業をのぞいてみると、「授業」に笑いが必ずある。苦り切って授業を進めるのは、指導力がないからで、鼻歌交じりにするくらいの、知的余裕が欲しい。


これを読んでいるあなたが女性教員なら、不快に感じるだろう。それこそが、あなたの欠点でもある。笑って読み飛ばせばいい。私は「女性教員の過半数」と書いたはず。あなたは、そこに含まれてはいない(はずだ)。

笑いが必要ではあるが、お笑いタレントではない。だじゃれの連発は論外だ。
「笑い」もまた、その土台となるものは、教養である。

教員には、多くの経験(特に失敗経験が。自慢できる成功経験も少しはあったほうがいい)と、知識に裏付けされた自信とが必要だ。
学習内容から派生する多様なエピソードを、興味深く、端的に語り、子供を夢中にさせることができなければならない。しかも、 一転して、それが学習内容をよりいっそう印象づけ、理解を深めるように働くようでなければならない。
なおも、そういった授業の全体観が、いつでもどんなときでも、教員自身には第三者的に見えている(世阿弥の「離見の見」のように)。

あるいはまた、集中に次ぐ集中で、子供の頭は知的興奮と疲れの中にある。
そこに一種の笑いという潤滑油を注いでやる。これが良い授業の条件としての笑いの役目だ。

なかなか難しい、と思うだろう。

左様、なかなか難しい。
しかも、この「笑い」の難しさは、単なる難しさではなく(それなら練習によってなんとかなる)、教員がその難しさを意識することもなく、楽々と自然にできなければならない、ということだけでは不足であって、それ以上に、むしろ教員自身の楽しみとなっているところまで行かないと、意味がないという難しさなのだ。

とてもとても難しいと思うだろう。

左様、君には無理なくらいに難しい。
だから言っただろう。

良い授業ができる優れた教員は少ないし、子供が、そんな教員に出会えることは、本当に珍しいことだ。

よい授業をするためには、生半可な勉強では駄目(必死の勉強でもまだ不足)である。知性に裏付けられた経験の蓄積が必要だろう。

やれやれ、それでも君は、なおも、教員を目指すというのだろうか。

それなら、勝手にしたまえ。