ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教育の敵 マスコミは愚劣な扇動者 テレビは悪そのものである

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学校現場は、無駄口ばかりたたいて、肝心なことは知らぬ存ぜぬで、頬被りをする。
子供が家庭に持って帰るプリントが多すぎる。何かと見れば、内容は各種団体の宣伝である。
保護者向けの「お知らせ」や「学校便り」に「学年便り」「学級だより」「教科便り」だって。いい加減にしないか。

こんなことまでも、という些細な事々が縷々書いてある。なーに、あらかじめ配っておいて、問題が起こったときには、免罪符にするつもりである。毎日毎日、山のようなプリントである。資源の無駄だ。
これでは、本当に大事なことが見逃される。

子供が親に説明すればよいことまでも、わざわざ
プリントして家庭に配る。子供の能力を、信用しないどころか、馬鹿にしきっている。
学習指導要領には「公民的資質」「伝えたい事柄を」「聞いて話せる」子供を育成、とあるが、ご立派なのは字面だけで、実際は、この体たらくである。

事あるごとに(ない時も)、プリントを配布する。子供も「それなり」になってしまって、簡単なことですら、言葉で説明できない。親へカバンごと投げつけて、「プリント見て」としか言わない。
学校が先頭に立って、親へも子へも、無限の甘やかしをする。

授業も同様に、教員は授業時間中、薄っぺらな事々をぺらぺらと、しゃべり続ける。これこそ授業だとでも、言いたげである。

近頃の子供は人の話をしっかり聞かないというが、あれは大人がしゃべりすぎるからである。ご丁寧に何度も繰り返す。聞く方も、注意深く聞く必要がなくなってしまう。テレビ画面の無用な字幕と一緒である。

子供を本来以上に子供扱いするのである。褒めすぎである。あるいは、見下しすぎである。
いつでも分不相応なほめ言葉を受けていると、狂ってくるのは、大人も子供も変わらない。

学校では、子供のご機嫌(及び、親のご機嫌)をとるために、めったやたらに、ほめる。
少しのことでも、まるで天地がひっくり返ったように大騒ぎして、最上の形容でほめる。

テレビで、低級な素人芸(いわゆる「お笑い」、「バラエティ番組」「ニュースショウ」)が流行るにつれて、無理をしてでも、笑ってやったり、拍手してやったり、ほめてやるような空気が蔓延した。

学校は、社会の縮図で、子供は大人の鏡である。マスコミという、低級なお調子者の愚劣な扇動が、学校現場に影響しないはずがない。

教室では、ことあるごとに子供たちが「エー」と奇声をあげる。なんのことはない。テレビ番組で、若い女性を大勢集めて、馬鹿を言わせて、互いに嘲り合ったり驚いたりの見世物をする。そのときの「合言葉」のようなものが、この「エー」という大袈裟な反応である。近頃は、若者言葉の符丁「はあ?」が大いに流行っている。
かくの如き俗悪なる番組をでっちあげて、薄笑いを浮かべている者どもと、その媒体たるテレビとは、やはり疑いようもなく、悪そのものである。

 

初出 20200109

改訂 20230904