ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

効果的な小論文指導はどうするのか 高校教員の悩み

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小論文指導について。

高校教員が小論文指導で悩むのは、高校の教員としての能力が足りないのに、教員になってしまったことが原因である、と誰かが言った。たぶんそうだろう。

しかしそれでは、話が進まない。第一、真顔で能力を問うならば、高校及び高等教育機関で教鞭をとることのできる人物が、いったい何人いることだろう。
大方の高校教員は、不足する能力資質を、時間と努力とで乗り切ろうとしているし、現に乗り切っているようにみえる。

小論文とは、大学入試等で出される、「論文」らしきもので、設題に沿った作文のことをいう。

その指導を、高校では、主に、国語科の教員が受け持っている。
ろくに本も読んでいないような高校生相手に、文章を書かせる訓練をするのだから、さぞかし大変だろう。
そこに付け込んだ出版社が、教員向けに、小論文指導法だの、子供相手には、小論文必勝法だのを売りつける。商売だから当然だろうし、実際に売れているようである。

文章は一夜漬けで書けるようにはならない、であるのにもかかわらず、無理を承知で「指導」するのである。お疲れ様。

今から、最も効果的で、簡潔簡単な小論文指導方法を述べる。
教員向きではあるが、子供にも役立つだろう。


小論文試験は、現実の入学試験時間中に、初見の設題で書くのが正規である。あらかじめ設題が示されているものや、AO入試とやらの「談合入試」もあるが、それにしても書くべき文題があるわけで、それに沿って書かなければならない。というより書けばいい。設題はむしろ味方である。

設題の内容がちんぷんかんプンな場合であっても、ともかくも日本語で書かれている。当該題目については、誰にでも、多少の知識があるはずである。書くべきは、知識ではない。どのような設題でも、料理できる能力があることを示せばいいのである。
つまりは、論文指導とは、子供の文章力をつけることであって、その他は無駄であり、無用である。

教員も出版社の類も、無知または商売上の利益から、各志望対象の学校学部専攻に関連する内容の知識や書き方が必要だと考える。
大間違いである。
基礎知識は、まさに最低限の常識を知っていればいいのであって、医学工学法学文学教育心理等々云々の志望だろうが、関係ない。
設題に対して「思うところ」(知識ではない)を、適切妥当簡潔簡明な文章で書くことができるか。これが合否の分かれ目である。

したがって、教員の指導目的はただ一つ、当該受験生の「瞬発的な文章力」を高めることである。
なんだそんなことかと言われそうだが、現にそんなことだからこそ、難しい。

分野別に特殊な小論文があると勘違いするからこそ、教員が迷い、子供も苦しむ。
どうせ、試験採点者等が読み手の「作文」である。彼らの読解レベルに合わせて、書いてやればいい。設題提示者の望む類を書けばいいだけの話で、それ以上でもなければ以下でもない。
新説を出して、目立とうとするのもよし、当たり前に書いて当たり前のように合格点を得るのもよし。書き手次第である。どう書いたって、おのずと力量は出る。隠しようがない。

では、どうすれば、子供の文章力を高めることができるのか。

詳しい説明をすれば、それは自慢になる。読んでも嫌だろう。あなたが、あとは考えるしかない。

とは言い条、簡明簡潔簡単効果的な小論文指導方法を、ちょいと説明しようか。

その指導とは、教員による、子供を目の前にした「授業時間中の推敲」に尽きる。

400字詰め原稿用紙を配る。テキトーな設題を板書する。
「この設題で、20分以内に、380字以上400字以下で書くこと」「書いたらすぐに前に持って来い」。

教員は黒板の前の机に座って、文庫本でも読みながら、待てばいい。
最初の生徒がやってくるだろう、その場ですぐに赤ペンで最重要な部分のみを手直しする。口頭で注意もする。一人当たり30秒以内。指導中に次の生徒が来たら、後ろに順番に待たせておく。当然、次の生徒にも、教員の注意は聞こえている。というより、教室中に響いている。
生徒は注意を受けたら、新しい原稿用紙を受け取り、諸注意を踏まえて、再び書く。書いたらまた指導を受ける。
これを時間内に、何度でも、繰り返す。40人の生徒で、2時間連続授業で、一人当たり、4回は、少なくても2回は、添削できる。

嘘だと思うだろう、または、そんなことかと思うだろう。
左様、そんなことである。これしきのことができないようなら、「小論文指導」は無理である。

 ところが、不幸なことに、ほとんどの高校教員にとって、これしきのことではなさそうである。

できないのである。

それはなぜか。

 

続く。