ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

国語 日本語

国語ができる子は、才能で解く。答えが透けて見える。高校国語科教員の悩み。

何度でも言うが、高校教員は、おおむね今の立場に満足して、それなりに楽しんで仕事をしている人が、小中学校の教員に比べて多い。したがって、教員職をエンジョイしようとするのなら、高校教員が最善の選択である。大学教員は、教員というより趣味人だから…

教科書の駄文と趣味のおしゃべり。教員の授業力は、充実した教科書と明快なノートでわかる。

充実した教科書を使って、ちゃんと教えることができれば、一人前の教員である。そんな教員が多く在籍している学校が、立派な学校である。ところが、教員を云々する前に、肝心の教科書がお粗末至極なのだ。これほど教科書が駄目な国は、少ないのではないか。 …

英語は書きやすく、日本語は書きにくい言語である。ダーティハリーの報告書と研究会。

某教員が言うことには。 研究発表とは、なんとつまらないものであろうか。何のために、何を、どのようにしたら、どうなった。これだけのことを、かいつまんで言えばよいものを、言わない。研究というほどの研究ではないからだろう、発表者も聴衆もそれを承知…

書店にあふれる新刊書。良書は図書館で眠っている。本の選択眼が必要。 

近くの大型書店によく立ち寄るが、相も変わらず駄本、ごみ本の山である。よくもまあ、こんなものを棚に並べて人様に売りつけるものだと感心する。書店関係者もそれを知って、辺本承知で置いているのだろう。短期でも売れさえすれば儲けものである。テレビな…

授業はゆっくりがいいのか。嫉妬、ジャーナリズム、お手軽な講演会。読解力と国語の授業。

ある人曰く。 人は、嫉妬から逃げることはできない。嫉妬のもっともわかりやすい例は、共産主義である。あれは、優れた人間、優秀な才能に対する嫉妬から出た陰険な思想である。今から何十年か前、全国の大学の経済学部では、まことしやかに、搾取だの資本主…

「解説」で売るマスコミ家業。テレビ新聞大学教員売文屋は、実は、大量の偽物で本物を隠すことが目的です。

誰でも、自分自身を「ひとかどの人物」であると、思っているし、他人にもそう思わせたい。荷風先生の言葉は、あなたも賛成するだろう。みんなが「ひとかど」である。 そういう連中はどうするか。ともかく人の師になりたがる。それには、「実は病」が役に立つ…

教員や国会議員は、何事も、「させていただく」のか。だったら、「辞めさせていただく」がいい。

某日、某コーヒー店のラジオから、だみ声で不仕付けに流れる参議院予算員会中継を漫然と聞いていると、質疑する議員が「させていただく」の連発である。「先日、熊本の被災地へ行かせていただきました」「何々の問題について、調べさせていただいて」謙譲語…

英語を国語とする。名文家、土居健郎中井久夫そして一葉。ですます調の怪。

かつて文章は「である、だ」の、いわゆる常体で書くものだった。「です、ます」の、いわゆる敬体は、日常の会話で使うもので、または手紙に書くもので、文章らしい文章は、常体で書いたり読んだりするのが、「常態」だった。それがどうだろう、近頃は、学術…

エリック・ロメール、友だちの恋人。話さないことは、いないこと。論理教育と言葉。

読書力、と仮に名付けようか。自分の判断で良書を選び、読んで内容を理解できる、というほどのことである。漫画や流行本や、三日後には忘れられるような雑文の類は、良書とはいわない。十年二十年百年千年残る名文で綴られた本を良書という。ほとんどの教科…

親孝行な夏休みの過ごし方。汗をふきふき、自宅で勉強しろ。ゴミ本を捨てて、古典を読め。

また、夏休みがやってきた。「夏休み」ではあるが、子どもは忙しい。忙しいことは、悪いことではない。夏休みはとことん遊べ、と言えば、恰好はいいが、あれは嘘である。多くの子供にとっては、ほったらかしにされるだけのことである。本音では、子供は暇を…

国語教科書は汚物の塊。生存する売文屋の文章なんか、載せるな。

近頃、乗合自動車に乗ることが多い。沿線に大学がいくつもあるので、学生が乗り込んでくる。他の客への迷惑など、お構いなしに、学生同士で大声で馬鹿話をする。それは勝手だが、その言葉遣いが聞くに耐えない。内容が幼稚で破廉恥なことは大目に見るにして…

百ます計算、日本国憲法の暗唱、NHKテレビ戦略、笑う教育産業。

ずいぶん以前に、百マス計算だとかで、テレビが騒いだことがあった。すぐに、新聞雑誌、挙げ句にはこの機に乗じて一儲をねらった出版社まで巻き込んで、もともと昔からあった反復習熟学習を、ことさらに新しい教育方法のように喧伝した。テレビで紹介された…

まとまな音読をさせない国語の授業。研究会は、教員たちのグループ療法であるのか。

今は流行らないが、二物衝突というか、子供の判断を試すような授業が盛んだった時期がある。道徳でもなければ、国語でもない。社会でもないし、倫理か何かのつもりだったのだろうか。 景気が良くて、とりあえず大きな心配がなくなると、どういうわけか教育に…