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中高一貫学校の入試問題は中学の教員が、高校の入試問題は高校教員が、大学入試問題は大学教員が作成する(ことがほとんどである)。 次年度の入試問題作成担当に決まった教員は、校務分掌を外される、または著しく減らしてもらえる。問題作成に没頭させるた…
近頃、小学校現場で、音読をさせることが少ない。というより、皆無である。これは、音読で育った世代が、現役学校教員として、完全に死に絶えたからである。もはや朗々と子供が本を読む声が、学校の教室の窓から聞こえることはなくなった。今後もないだろう…
高校から小学校高学年に至るまで、相も変わらぬプリント地獄である。授業で、子供は教科書とノートさえ持てばいい。教員もまた教科書とチョーク一本で足るはずである。それがどうだろう。教員は、プリントを山ほど刷って、子供に配る。 なーに、授業に自信が…
東海林太郎の歌が好きで、下手ではあるが、時々カラオケで歌う。 愛国行進曲 東海林太郎 この歌は、小学校唱歌だったとしても、優れた出来栄えである。この歌詞を、やれ帝国主義だの、軍国主義思想だの言う輩は、もとより覚悟のない連中で、論ずるに足らない…
国語の教材には、日本の古典、漢文の他に「現代文」がある。明確な定義はないが、明治以後の文章のことであろう。教材の現代文は、よい文章ばかりとは限らない。つまらない文章がある。これでも日本語かと疑うような、ひどい文章もある。その文章を細切れに…
2019年7月末日現在。 現役の教員の多くは、夏休みに突入である。昔々、夏休みが近づくと、職員室では、教員たちの、ハワイだスペインだカナダだの、旅行の予定を言いたい放題だった。子供は子供で、9月の新学期になると、どこそこに行った何を買って帰ったと…
旅客来りて嘆いて曰く。 夏休みは、子供は学校に行かない。ならば、こちらから出向いてやる、とばかりに、「学級だより」のプリントを、夏休み中、毎朝、届けてくる教員がいた。雨の日も風の日も、自転車で学級の子供たち全員の家のポストに投函してくる。そ…
過日、東北某県の市立中学教員と話をしていて、当方も内情を知らないわけでもないから、朝からジャージ着て笛吹いていればいいのだから気楽なものだろう、と言うと、まったくその通りですと答えた。中学教員になって以来、ずっと担任をしているとのことであ…
国語教科書を、古文や漢文のそれと区別するために、現代文と呼ぶことがある。現代日本語の文章だから、現代文なのであろうか。そのまんまである。 文章は、読み手が一読してたちまち理解させるように書くのが、書き手の義務である。授業で、ああでもない、こ…
授業で、子供の、何を、どのように、どう伸ばすのか。 困ったものである。教員が自分の仕事でこんなことに悩むとは、実に遺憾である。 授業は、子供の学力を上げればいい。つまりは、授業前よりも授業後のほうが、当該教科の理解、認識、意欲、知識が増えて…
東京でオリンピックの予定である。何かと騒がしい。おもてなし英語とやらで、英会話ごっこのパレードである。 日本人の英語力は低いというが、統計など持ち出さなくたって、我が身を振り返れば、すぐわかる。嫌々とはいえ、十年以上も学校で英語を学んできた…
戦争の結果とられた領土は、戦争しなければ取り戻すことができないのが道理である。もし戻るのなら、それ以上の対価を、相手国に払ってのことである。国家間の戦闘行為よりも、もっと大きなものを払うなんて、よほど法外である。すなはち、失った領土は戻ら…
小論文指導について、すでに書いたと思うが、その続きのようなものである。 対象年齢によって、変化はない。小学校5年生から大学院まで、テキトーに変化させて指導すればいいだろう。 簡明簡潔有効な小論文の指導方法は、次のごとし。子供が書いた文章400字…
授業では、子供の発表が流行りである。小中学校で多い。国語や社会科等では、題目はいくらでもある。プリントを自作したり、模造紙に大きく図を描いて示したりする。発表のために、調べたり、資料を作ったりする時間が、一番楽しそうである。 子供に限らず、…
あのNHK等のテレビ放送。 そこから流れ出す日本語の卑しさ、不快、劣悪にして唾棄すべき音声、言い回しのごみ溜め。明快に落ち着いて話すと、内容空疎で出鱈目なことが、ばれてしまうからだろう。口角泡を立てて慌ててしゃべり続ける。煩い。やかましい。下…
前回、小論文指導について書いた。続きである。 簡明簡潔有効な小論文の指導方法は、次のごとし。子供が書いた文章400字を、15秒で理解して、直すべきところを瞬時に見抜いて、妥当解を赤ペン及び口頭で指導する。すぐに書き直させる。1回の指導は長くても3…
小論文指導について。 高校教員が小論文指導で悩むのは、高校教育の教員としての能力が足りないのに、教員になってしまったことが原因である、と誰かが言った。たぶんそうだろう。 しかしそれでは、話が進まない。第一、真顔で能力を問うならば、高校及び高…
ずいぶん以前の話になるが、海外の子供たち(アメリカ、イギリス、中国、台湾、ドイツ、香港、韓国、マレーシア、タイ、オーストラリア、ロシアなど六十人余り)、そして日本の子供たちと一緒に、二泊三日のキャンプをしたことがある。みな、十一歳である。…
何度でも言うが、高校教員は、おおむね今の立場に満足して、それなりに楽しんで仕事をしている人が、小中学校の教員に比べて多い。したがって、教員職をエンジョイしようとするのなら、高校教員が最善の選択である。大学教員は、教員というより趣味人だから…
充実した教科書を使って、ちゃんと教えることができれば、一人前の教員である。そんな教員が多く在籍している学校が、立派な学校である。ところが、教員を云々する前に、肝心の教科書がお粗末至極なのだ。これほど教科書が駄目な国は、少ないのではないか。 …
某教員が言うことには。 研究発表とは、なんとつまらないものであろうか。何のために、何を、どのようにしたら、どうなった。これだけのことを、かいつまんで言えばよいものを、言わない。研究というほどの研究ではないからだろう、発表者も聴衆もそれを承知…
近くの大型書店によく立ち寄るが、相も変わらず駄本、ごみ本の山である。よくもまあ、こんなものを棚に並べて人様に売りつけるものだと感心する。書店関係者もそれを知って、辺本承知で置いているのだろう。短期でも売れさえすれば儲けものである。テレビな…
ある人曰く。 人は、嫉妬から逃げることはできない。嫉妬のもっともわかりやすい例は、共産主義である。あれは、優れた人間、優秀な才能に対する嫉妬から出た陰険な思想である。今から何十年か前、全国の大学の経済学部では、まことしやかに、搾取だの資本主…
誰でも、自分自身を「ひとかどの人物」であると、思っているし、他人にもそう思わせたい。荷風先生の言葉は、あなたも賛成するだろう。みんなが「ひとかど」である。 そういう連中はどうするか。ともかく人の師になりたがる。それには、「実は病」が役に立つ…
某日、某コーヒー店のラジオから、だみ声で不仕付けに流れる参議院予算員会中継を漫然と聞いていると、質疑する議員が「させていただく」の連発である。「先日、どこどこの被災地へ行かせていただきました」「何々の問題について、調べさせていただいて」謙…
かつて文章は「である、だ」の、いわゆる常体で書くものだった。「です、ます」の、いわゆる敬体は、日常の会話で使うもので、または手紙に書くもので、文章らしい文章は、常体で書いたり読んだりするのが、「常態」だった。それがどうだろう、近頃は、学術…
子供が変わった。社会も変わった。と、誰も彼もが、口を揃えていう。たとえそうだとしても、だから学校も変わるべきだ、というのは、ずいぶん変な話である。少々では変わらないのが、変えてはならないのが、文化伝統である。学校も一種の文化である。それが…
中学生から大学生にかけて、部活動の影響だかなんだか知らないが、とってつけたような敬語に類する言い回しをする子供が多い。先輩、何々です。何々ます。というように、ですます言葉なのだが、妙に気に障る。それもそのはずで、「場違い」なのである。教養…
教員の指導力を高める、とかで、各地で色々な「取り組み」がされているようだ。授業が上手と「評価」されている中学校教員の、実際の授業の一部を、N某局で放送していた。「子どもの注意をひきつける」のだそうで、まずセサミストリートの真似事をする。チョ…
また、夏休みがやってきた。「夏休み」ではあるが、子どもは忙しい。忙しいことは、悪いことではない。夏休みはとことん遊べ、と言えば、恰好はいいが、あれは嘘である。多くの子供にとっては、ほったらかしにされるだけのことである。本音では、子供は暇を…