ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

自分を見せたいのは、みんな同じ。夏休み、教員の執念、スマホでピコピコ、テレビ芸人、貧乏国家。

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旅客来りて嘆いて曰く。

夏休みは、子供は学校に行かない。
ならば、こちらから出向いてやる、とばかりに、「学級だより」のプリントを、夏休み中、毎朝、届けてくる教員がいた。雨の日も風の日も、自転車で学級の子供たち全員の家のポストに投函してくる。その執念恐るべし。
肝心の内容は、どうでもいいことが書き連ねてある。子供も見向きもしない。教員の自己満足に過ぎないのである。

今はどうだろうか。ひょっとして学級連絡メールだのSNSだのを強制的に読ませるのではなかろうか。
スマホなんて、見なければいいのだから、玄関ポストに突っ込まれるよりは、よほどましである。

人はことほど左様に、他人に、自分を見てもらいたい。
「先生、僕が私がここにいるの、こちらを見てよ」
教員経験者なら、思い当たるだろう。
小学生低学年のみならず、高学年にも、中学生でも、そして高校生でも、こんな子が多い。大概、良い子たちである。
しかし中には、乱暴者もいる。素直に自分を表現できないので、他の子供に意地悪をしたり、規律を破ったりして、教員に注目してほしいのである。叱られたいのである。
これもまた、指導によって簡単に解決する。可愛いものである。

 

他人に見てほしいのは子供だけではない。配達教員の例の如く、むしろ大人のほうが、自分を誰かに見てもらいたくて仕方がない。

憎むべきは、テレビ芸人の類で、こちらは全然見たくないのに、平然と出しゃばる。自己宣伝する。
討論番組、識者、新聞屋、ニュースキャスター諸々で、あれが嫌で、テレビを見限った人が多い。
自己表現、自己宣伝は、人の常である。しかし、各家庭に割り込むのは不躾である。

 

情報過多は、情報皆無と同じである。本当に重要な事実を、多くの嘘でごまかす、隠す、煙に巻く。
それを証拠に、ニュースは繰り返しが多い。同じことを何度も言って、時間潰しをする。肝心なことは、決して言わない、言えない、わからない、わからせたくない。

携帯電話を、子供たちに持たせるようになったのは、学校帰りに塾に行く子が増えた。夜遅くなるので、親は、携帯のGPSで子供の動向を監視する必要があった。
近頃は、持たないと仲間外れにされるからスマホが要る、と言って、親を困らせる。
俯いてスマホをピコピコするのも、いくばくかの自己表現なのだろう。

子供たちがスマホを持つようになってから、格段に学力が下がった。特に国語が下がった。日本語がダメになった。ピコピコ書くのは、あれは文章ではない。「つぶやき」と称する手前勝手の繰り言である。

ラインにツイッターに取り憑かれて、一日中、目を酷使する。

高校3年の崖っぷちなのに、短文を書くことすらできない。
大学では新入生に、初歩の作文の書き方を教えなければならない。
読書案内も、してやらなけらばならない。
子供自身の露出欲はあふれていても、自己表現どころではないのである。

 

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以上を書いて、幾星霜。

思うに、日本は遊び場所が少ないのである。ご近所は狭い、危険、健全な施設もない。自然らしい自然なんてない。ごちゃついた街と道路と排気ガスと公衆便所が大半を占める公園云々。

スマホ画面に逃げるくらいしかないのだろう。

住食衣そして薬(健康)の四つを持つのを富めるといい、欠けるを貧乏という。ならば、日本全国大人も子供も、貧乏人だらけである。

それでも、外国人にはおもてなし、だそうである。甚だ奇特であるまいか。