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某教員が言うことには。 研究発表とは、なんとつまらないものであろうか。何のために、何を、どのようにしたら、どうなった。これだけのことを、かいつまんで言えばよいものを、言わない。研究というほどの研究ではないからだろう、発表者も聴衆もそれを承知…
近くの大型書店によく立ち寄るが、相も変わらず駄本、ごみ本の山である。よくもまあ、こんなものを棚に並べて人様に売りつけるものだと感心する。書店関係者もそれを知って、辺本承知で置いているのだろう。短期でも売れさえすれば儲けものである。テレビな…
誰でも、自分自身を「ひとかどの人物」であると、思っているし、他人にもそう思わせたい。荷風先生の言葉は、あなたも賛成するだろう。みんなが「ひとかど」である。 そういう連中はどうするか。ともかく人の師になりたがる。それには、「実は病」が役に立つ…
某日、某コーヒー店のラジオから、だみ声で不仕付けに流れる参議院予算員会中継を漫然と聞いていると、質疑する議員が「させていただく」の連発である。「先日、どこどこの被災地へ行かせていただきました」「何々の問題について、調べさせていただいて」謙…
かつて文章は「である、だ」の、いわゆる常体で書くものだった。「です、ます」の、いわゆる敬体は、日常の会話で使うもので、または手紙に書くもので、文章らしい文章は、常体で書いたり読んだりするのが、「常態」だった。それがどうだろう、近頃は、学術…
子供が変わった。社会も変わった。と、誰も彼もが、口を揃えていう。たとえそうだとしても、だから学校も変わるべきだ、というのは、ずいぶん変な話である。少々では変わらないのが、変えてはならないのが、文化伝統である。学校も一種の文化である。それが…
中学生から大学生にかけて、部活動の影響だかなんだか知らないが、とってつけたような敬語に類する言い回しをする子供が多い。先輩、何々です。何々ます。というように、ですます言葉なのだが、妙に気に障る。それもそのはずで、「場違い」なのである。教養…
教員の指導力を高める、とかで、各地で色々な「取り組み」がされているようだ。授業が上手と「評価」されている中学校教員の、実際の授業の一部を、N某局で放送していた。「子どもの注意をひきつける」のだそうで、まずセサミストリートの真似事をする。チョ…
また、夏休みがやってきた。「夏休み」ではあるが、子どもは忙しい。忙しいことは、悪いことではない。夏休みはとことん遊べ、と言えば、恰好はいいが、あれは嘘である。多くの子供にとっては、ほったらかしにされるだけのことである。本音では、子供は暇を…
先日、高校文化祭について、男子校での女装、ミスコンについて書いたのだが、「女装」「男の娘」という単語には、なにかしら、そわそわするものがあるようだ。高校生活の種々の出来事の中で、文化祭の中の一場面を記憶しているのが、不思議でもあるが、生徒…
近頃、乗合自動車に乗ることが多い。沿線に大学がいくつもあるので、学生が乗り込んでくる。他の客への迷惑など、お構いなしに、学生同士で大声で馬鹿話をする。それは勝手だが、その言葉遣いが聞くに耐えない。内容が幼稚で破廉恥なことは大目に見るにして…
ずいぶん以前に、百マス計算だとかで、テレビが騒いだことがあった。すぐに、新聞雑誌、挙げ句にはこの機に乗じて一儲をねらった出版社まで巻き込んで、もともと昔からあった反復習熟学習を、ことさらに新しい教育方法のように喧伝した。すでに日本全国の学…