戦争の結果とられた領土は、戦争しなければ取り戻すことができないのが道理である。
もし戻るのなら、それ以上の対価を、相手国に払ってのことである。
国家間の戦闘行為よりも、もっと大きなものを払うなんて、よほど法外である。すなはち、失った領土は戻らない。戻るわけがない。
某国会議員が、北方領土返還の会合で戦争云々の発言をしたそうであるが、内容自体は常識で、至極道理である。もっとも、当然なことを表裏なく言うのは素人で、政治のプロなら少しは考えなければならない。
話は変わるが、拉致被害者を戻せという発言も、自衛隊という国軍があるのだから、他国に頼む筋ではない。自衛隊は、日本国民の安全を確保し、外敵に対して戦うのが道理で、さっさと、取り戻しに行くのが、本来である。
アメリカ様にお願いするなんて、世界の軽蔑の対象になるしかない。
アメリカ人は、国民の人口以上に銃を持っている。国家を信用してないのである。自分たち国民ひとり一人が、自身のみならず家族を、地域を、国家をも、最終的に守るという気概がある。これがアメリカ人で、彼らからすると、日本人拉致事件をめぐる日本政府の行動や判断は、不思議以外の何ものでもないだろう。
嘘だと思うなら、おもてなし英語とやらで、身近にいる外国人に問うがいい。
さて、こういった類の話題は、ぱるるの教育批評には、ふさわしくない。
もちろん教育制度は国家統制の手段の面を持っている。しかし、教育に、政治が我が物顔でのさばると、ろくなことがない。
学校は、おとなしく学び学ばせれば、いいのである。
過日、向島百花園に遊んだ。入ってすぐ横の茶店で、ビールを頼み、茫然と古人を偲んだ。帰りには、酔った頭と重い足とを引き摺って、白髭神社、露伴先生の住居跡公園を、のそのそと歩いた。鳩の街通りに、人通りはほとんどない。
私は授業で現代文では鴎外直哉敦を、古文では方丈徒然平家を頻繁に扱った。これらは日本語の文章の粋である。
しかし、露伴は教えていない。今回、五重塔を読み返してみて、つくづくリズムの力に圧倒された。偉いものである。
日本語のリズムといえば、荷風先生である。荷風の文章は朗吟するに足る。荷風を追慕し、新宿銀座向島浅草岡山を歩くのもよい。
どんな人にも、文章の手本がある。なければそれは偽物で、だから子供は、手本に、名文として確立した大人の文章を、古文を、真似して書くのである。すでに上記の現代文作家は、古典である。
真似して何が悪かろう。10歳までに平家の一節を諳んじさせることもしないで、何が国語の授業だろう。
インターネットは、文章を書く人を量産したが、良いことばかりではない。むしろ、日本語の文章リズムは下品になった。
〇 岩波の荷風全集が一番だが、大部である。下記の上下だけでも、文章の美しさを満喫できる。
荷風随筆集 上 日和下駄 他十六篇 (岩波文庫 緑 41-7)
- 作者: 永井荷風,野口冨士男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/09/16
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