ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

学習指導要領

教員の力量とは何か 教材を見通す能力

教科書改訂のたびに、教科書会社の手引書は、ますます過熱して、余計なことを書きまくっている。 宿題を多めに出す教員は、保護者から受けがいい。実態にかかわらず、熱心な先生と呼ばれることが多かった。それに味をしめて、教員は授業下手をごまかすために…

アクティブ・ラーニングはごまかし。言葉が躍る指導要領は、無駄である。

他の省庁に比べて、文科省のつらいところは、何かをやっているふりをしなければならないことだ、とある人が言った。 本来は暇を持て余して、あってもなくてもいいような役所である。しかし、極楽な毎日でも、文科省の職員として、給与は払われているのだから…

嘘くさい「活発な授業」、学校から競争をなくして、学力を下げよう。 みんな一緒にお仲間である。

教員は、授業を、一方的な思い込みで判断しがちである。子供が、手を挙げていさえすれば「活発な授業」。子供の思いつきの発言にも、「発表が多かった」と満足する。隣の子供と無駄話をしていても、「子ども同士の交流があった」と喜ぶ。授業の目的が、子供…

日本の小学校教員は、世界一である。しかし、教育効果が上がらないのはなぜか。

日本の初等教育に携わる教員の水準の高さは、誰がなんと言おうと世界一である。その熱心なこと、真面目なこと、繊細な配慮等々、他の追随を許さない。これは喜ばしいことだろうか。残念ながら、必ずしもそうではない。 小学校学級担任教員が優秀であっても、…

まだまだ続く「総合的学習の時間」の毒。調べ学習にポスターセッション。流行物は廃り物である

小学校中学校高等学校の「総合的学習の時間」(小学校低学年は「生活科」と称す)は、ほとんど無意味なことが明らかになった今も、惰性で時間つぶしをさせている。 あんなものを、学校で取り扱う「学習」だと、本気で考えているとしたなら、不勉強を通り越し…

長すぎる学校生活。授業の押し売りは、のっぺりと従順な国民の量産に最適だろうか。

体育や美術などの実技系の授業によくみられることだが、実際に子供が活動することが授業の眼目であるはずなのに、なかなか子供の動きがみられない。子供を動かさない、子供の動きを封じてしまっている授業がよくある。指導者が、授業の体裁を取り繕うために…

「読み書き計算」が学力の中身である。失敗ばかりする学習指導要領。

学校は、学力をつけるところであると、誰でもが思う。ところが、学力の中身が、今ひとつはっきりしない。学力とは何か。その人に身についた学習結果のことである。では、義務教育期間での、学習とは何か。段階的に基礎的知識を学ぶことである。すると、学力…

子供ごときに振り回されるな。荒れる中学校と元気のない教員。

学校に元気がない。特に中学校は落ち込んでいる。教員が自信を持って子どもに接していない。原因の一つは、学校の教育方針が揺れていることにある。本を正せば、教育に、芯がないからである。戦後、教育の芯がなくなり、その場その場で、ふわふわと流されて…

社会科は不要な教科なのか。『はだしのゲン』閲覧制限撤回と、教委職員の度素人ぶり。

ずいぶん前のことになるが、ある席で、次のような意見を聞いた。~~~~~~~~~~~社会科なんて無駄な教科は、なくすに限る。先の戦争に負けて以来、図々しくも、教科の一つに、居座っている。いったい、社会科で、何を教えているのだろうか。あれは学…

聖徳太子を厩戸王と呼ばせてグローバル化に推進。さすがの文科省である。

文科省が、次の学習指導要領で聖徳太子の名前を変更するという暴挙に出た。国民の多くから反対されそうな情報を得るや否や、さっそく手のひら返して、変更を取りやめた。相変わらずの小心な役人根性である。一体全体、学習指導要領なる代物は、文科省の存在…