ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

アクティブ・ラーニングはごまかし。言葉が躍る指導要領は、無駄である。

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他の省庁に比べて、文科省のつらいところは、何かをやっているふりをしなければならないことだ、とある人が言った。


本来は暇を持て余して、あってもなくてもいいような役所である。しかし、極楽な毎日でも、文科省の職員として、給与は払われているのだから、やっぱり何かをしている素振りが必要である。

そこで考えたのが、学習指導要領なる短い文書を、十年に一回くらい出して、教育界を引っ掻き回す作戦である。文書内容は、雨の日は雨が降る、といった類の、当然すぎる内容だが、これによって、小中高や大学の教員その他に、文科省の存在をアピールするのである。大手学習塾チェーンやマスコミ各位殿とも連携して、せっせと話題作りをする。

文科省という役所があったこと、仕事らしきものをしていることを、宣伝するのである。

言っておくが、学習指導要領なる、スカスカの文書が、世の中の役に立った例がない。あれこそ、無駄の極致で、教育関連の商売人に話題と金銭とを提供するための一大キャンペーンである。
さて、近年の目玉はアクティブ・ラーニングとやらである。笑止な。

日本人なら日本人らしく日本語で書け。
日本語で書くと、中身のないことが、ごまかしばかりであることが、ばれてしまうのが怖いのだろう。
日本の「グローバル化」対応のための、「キーワード」だそうである。
何度も笑わせてくれる。

中身なんて何にもありゃしない。普通の授業をきちんとすればいいことで、それすらできないくせに、大仰な口を叩いても、無駄である。
つくづく、文科省職員の卑しさを、遺憾とするのである。

 

話を変える。
教員は、子供に学力をつけること、が本分である。
学力とは、既存の知識を理解し、新しい知見を創造する能力のことをいう。
手っ取り早く、学力の向上または退化を判断するには、試験である。つまるところ、試験の「成績が良い」ことが、学力がついた証となる。

学校は、子供に学力をつける場所である。知識を教え込み、多少の応用力が育ったなら、
万々歳である。それ以上でも以下でもない。

できもしないくせに、壮大な目的を挙げて、力んでしまうと、肝心な学習内容の教授が疎かになる。というより、迫力がなくなる。

ほとんどの学校は、成績が何よりも大切だ、と表立っては言いにくい。それをはっきりと掲げることは、憚りがあった。「成績ではない、人間性が一番だ」と綺麗ごとを並べ立てて、大嘘をついた。
学校は、生意気にも、他人の人間性まで判断するのであろうか。
大きなお世話である。いっそ、最初から、「点数至上、成績第一です」と言え。
低レベルの指導要領の内容すらカバーできないでいて、「生きる力をはぐくむ」とか、聞いて呆れる。
さっさと、授業を進めろ。

景気がよい頃は、日本は工業力で他国に一歩も二歩もリードして、余裕があった。
今は違う。世界の競争が厳しい。嫌な言葉だが、「ボーダレス」である。

日本の得意分野に、強敵がどんどん出てくる。資源もなく狭小な国土の日本は、常在戦場である。しかも常勝を期待されている。人材だけが頼みの綱である。
人材育成の土台は、言うまでもなく教育である。学校教育である。授業のレベルである。
学校だけが、競争と無縁なわけがない。
学校で子供に力をつけることができなかったら、アウトである。脱落である。学校、教員、親、行政、国家、丸ごとアウトなのである。
セーフになるには、全力で走るしかない。少なくとも、教員は、子供を厳しく指導し、励まさなければならない。それが仕事のはずである


しかしながら、子供は、放っておいても成長する。または、自力で学習する。これも事実である。
その一方、子供が自然に伸びるのは、生理的にであって、教育的にではない。故に教育が必要だ、という意見もある。
果たしてそうだろうか。
子供は自分で、自身を教育しながら生きている面もある。
「親はなくとも子は育つ」という。意図的どころか、何も教育しなくても、いつの間にか身も心もそれなりに成長する。
これも逃げ道の一つである。

時間の流れが、教育の成功も失敗も、飲み込んでいく。それに甘えて、教育関係者は大言壮語する。
生きる力だの、主体的だの、個性尊重だの、無意味なキャッチフレーズを並べ立てて、自己満足に陥る。
肝心のことは手抜きして、綺麗ごとを言う。その結果はだれが責任を取るのだろうか。


教育は、つまりは、大人による意図的な営み、である。
意図的ではあっても、予定通りにいくものかどうか。「営み」を過大に評価すると、教育の間口が際限なく広がって、収拾がつかなくなる。

学校は、学力をつければいいのである。それだけが学校の役目であるし、それ以上のことが、学校にできるだろうか。よく胸に手を当てて、考えるがいいだろう。