ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員同士を競わせても無駄である。子供や教員のレベル、能力不足は仕方がない。

二流三流の中学や高校では、と書くと、怒り出す人がいるだろうが、その実、誰でも、学校には、一流から末流まであることは知っている。 同じ二流三流であっても、教員にとって、勤務校や担当教科によって、天国と地獄との差異がある。天国は、のんびりゆっく…

他人から説教される快感。金が解決するわが子の教育、は素敵だ。

つくづく、私たちは、お説教が大好きである。説教するのが好きで、説教されるのも、大好きなのである。 テレビ新聞雑誌、ついには、お手軽の極みである動画共有サイトに至るまで、他人に説教する者どもでいっぱいである。 自分が一番詳しいはずの、わが子の…

世界警察がないのに、核廃絶、恒久平和は可能か。相対善としての大国アメリカ。奴隷を楽しむも一興なり。

居酒屋にて、ある人曰く。 ーーー どうも困ったものである。 核なき世界だそうである。恒久平和だそうである。反核のうねり、平和国家、核拡散反対だそうである。綺麗事は、何とでもいえる。 治安維持に警察が必要なように、火事に消防が必要なように、ある…

子供の「安心安全」はあるのか。親が、子供の送り迎えをするしかない。 At Your Own Risk

At Your Own Risk自分の責任に置いて、自分の判断で、どうぞご勝手に。ためになる言葉である。日本の教育に欠けているのはこの精神なのだ。「自己責任」という言葉がなんとなく流行ったことがあった。例のごとく、すぐ廃れて忘れ去られた。 日本以外では、At…

医者が、死ぬまで医者なら、教員も同じこと。 芯のない教育で、子供を迷わせてばかり。

夕涼みである。知人来りて言うには。 近頃の校長は変わっている。校内で、教職員が「校長」と呼ぶと、怒り出す。「○○校長先生」と呼ばないと機嫌が悪い。教頭も以下同文で、同僚教員が「○○教頭」と呼ぶと、ぷいと横を向く。「○○教頭先生」と言ってやらないと…

教員は、空き家で何をする気だろう。夏休み、長期休業中は、研修と草むしりとペンキ塗り。

身銭を切って、何かを学ぶことを、利巧という。道に知識を拾わないものは馬鹿だ、と露伴は言った。 頼まれもしないのに、自分の意思で学ぼうとするのは、何ものかを得るための最良の方法である。他人にものを教えることが職業のはずの教員が、自分でも学ぼう…

新校舎建設ラッシュ。たくさんの学校は不要である。NHKマスコミの宣伝を鵜呑みにして、時流に迎合する。

子供の数は減りつつあるのに、あちらでもこちらでも学校をどんどんつくっている。学校の数が増えているばかりか、既存の学校も、規模を拡大している。競って、校舎の新築増築、新学部学科の増設である。傍から見ていて、気味が悪い。どうせ、ろくな教育も研…

国語嫌いを増やす国語教科書。お粗末な学校図書館。大半の本は、ゴミである。

国語の教材には、日本の古典、漢文の他に「現代文」がある。明確な定義はないが、明治以後の文章のことであろう。教材の現代文は、よい文章ばかりとは限らない。つまらない文章がある。これでも日本語かと疑うような、ひどい文章もある。その文章を細切れに…

夏休みの課題は、無駄なプリントでいっぱい。海外旅行、海外赴任もネットで満足。

2019年7月末日現在。 現役の教員の多くは、夏休みに突入である。昔々、夏休みが近づくと、職員室では、教員たちの、ハワイだスペインだカナダだの、旅行の予定を言いたい放題だった。子供は子供で、9月の新学期になると、どこそこに行った何を買って帰ったと…

自分を見せたいのは、みんな同じ。夏休み、教員の執念、スマホでピコピコ、テレビ芸人、貧乏国家。

旅客来りて嘆いて曰く。 夏休みは、子供は学校に行かない。ならば、こちらから出向いてやる、とばかりに、「学級だより」のプリントを、夏休み中、毎朝、届けてくる教員がいた。雨の日も風の日も、自転車で学級の子供たち全員の家のポストに投函してくる。そ…

嘘くさい「活発な授業」、学校から競争をなくして、学力を下げよう。 みんな一緒にお仲間である。

教員は、授業を、一方的な思い込みで判断しがちである。子供が、手を挙げていさえすれば「活発な授業」。子供の思いつきの発言にも、「発表が多かった」と満足する。隣の子供と無駄話をしていても、「子ども同士の交流があった」と喜ぶ。授業の目的が、子供…

競争は、子供の心を傷つける、だから止める。コンクールは流行遅れなのか。

昔々、聞いた話である。ーーーーかつて、コンクールの盛んな時期があった。小中高の生徒向けの、絵画音楽作文主張など、主催が官公庁や新聞社、各種財団、県、市、郡、ついには小さな町の名を冠したコンクールまであった。コンクールにはよく出た。当時は、…

教員人事は情実の世界。仲間内で誉め合い、助け合い、他を蹴落とす。

かつて、〇〇記念パーティの類の会合で、高名な精神科医が、ここまでやってこれたのも多くの方の力添えで云々、とスピーチをした。それはそうだろう、言える立場だから、吐く言葉だろうが、東大は東大を助ける。と同様に、常に互いに誉め合って、外部を排除…

大学生の就職事情、今は昔。高い才能は別格。凡人は教職を目指せ、と言う人もいる。

以下は、某企業の知人から聞いた話である。 そこそこ名の知れた大学を出れば、まあまあの就職先が見つかるなんてことは、昔はどうだか知らないが、今はない。エクセルやワードの検定1級所持は当然で、パソコンでゲームばかりやっていたのか、と面接で詰問さ…

期末中間試験で、担当学級のみ高得点をとらせる方法。能力不足の教員は、無駄な競争がお好き。

能力不足か人の煩悩ゆえか、同僚との競争に明け暮れるのは、中高の教員である。教科に相応しい能力を持つ教員は、いったいどこにいるのだろう。 並み居る児童生徒学生の中には、教員を凌ぐ者がいる。というより、大部分だろう。とすると、教員は厚顔無恥にな…

中国や朝鮮に媚びる教科書、無駄の多い授業。他学級を嫉妬しても、損するだけ。

かつて、中学校の歴史教科書の内容について、シナやコリアが、非難してきたことがあった。 小学校の教科書については、どうなのか。今のところ、表立っては文句は出ていないようである。中国や南北朝鮮にとって、おおむね都合のよいことが書いてあるからだろ…

学校選択制は失敗か。「公立」の中高一貫校は、まだまだ増え続ける。

公立小中学校の学校選択ができるようになって久しい。この制度は、十分に定着したのだろうか。選択制は強制ではなく、地域によって異なるし、一度選択制を採用したものの、元に戻す例もある。学校格差が出るだの、教職員の負担増加だの、選択の理由があいま…

不登校の原因は、子供の甘えか、教員の見て見ぬふりか。何事も、自分次第である。

不登校という現象は、かつてあったし、今もあるし、これからもあるだろう。不登校の子供がいた場合(大学生の場合は、これは怠学と判断される。すでに法的な大人である。自分で責任をとるがいい)、以前は、学校が恐縮して、さも申し訳なさそうな素振りをし…

教員が授業で悩むこと。過剰な準備と提出物点検の無駄。お疲れ様である。

過日、東北某県の市立中学教員と話をしていて、当方も内情を知らないわけでもないから、朝からジャージ着て笛吹いていればいいのだから気楽なものだろう、と言うと、まったくその通りですと答えた。中学教員になって以来、ずっと担任をしているとのことであ…

教員は、何事につけても、苦しみ悩む仕事である。気楽な授業、同僚との戦い。

教員は、何事につけても、苦しみ悩む仕事である。その一方、マイペースでお気楽で安楽な仕事でもある。その差はどこから来るのだろう。 幼稚園小学校中学校高等学校大学大学院等の勤務先による、職種による、担当教科による、教員の能力による。つまりは、種…

傲慢な子供に、教えさせていただく教員。ペコペコするのも程がある。本を忘れて思い出す。

どの社会でも、人間関係は難しい。子供相手の仕事である学校教員も、同僚や教育事務所、行政他等の人間模様の中にある。 学校は、行事等で、多人数が一度に同じことをする。実際には、「たいしたこと」はないのだが、それを「たいしたこと」と考える人間がい…

悩む教員と嗤う教育産業。授業は教科書とノートとがあれば足りる。

悩む人は悩むもので、ことさらに仕事を難しくする。これは、半ば習性または性格、あるいは悪癖であろう。国語科の授業は、教科書とチョーク1本で済むものを、やたらとピント外れの予習や準備をする。プリントを多種大量に刷りまくる。自作プリントというら…

問いを発することが、現代文授業の要である。読解の方法論。圧倒的な国語力の教員。

国語教科書を、古文や漢文のそれと区別するために、現代文と呼ぶことがある。現代日本語の文章だから、現代文なのであろうか。そのまんまである。 文章は、読み手が一読してたちまち理解させるように書くのが、書き手の義務である。授業で、ああでもない、こ…

学年トップの教員。授業で子供の何をどう伸ばすのか。読解の方法論。

授業で、子供の、何を、どのように、どう伸ばすのか。 困ったものである。教員が自分の仕事でこんなことに悩むとは、実に遺憾である。 授業は、子供の学力を上げればいい。つまりは、授業前よりも授業後のほうが、当該教科の理解、認識、意欲、知識が増えて…

教員が疲れない授業。教室で子供を踊らせること。アクティブ・ラーニングなどのキャッチコピー。

おぼろげな記憶によれば、 大学で教員たちが行っているつもりになっている「講義」「ゼミナール」と称するモノを、教員自らが、「授業」と呼ぶようになったのは、おそらく慶應義塾が最初ではなかったろうか。福澤諭吉は、真の意味で先生であった。その風姿が…

教科書通りの逃げ口上。大学は、教員を食わせるための遊園地。入園料は親の涙。

教科書には、ほとんど無難なことが書いてある。だからそのまま右から左に伝えても、まず間違いは起こらない。義務教育期の小中学校の教員は、教科書通りに教えることが常識となっている。 高校では、事情が少し複雑になる。高校では授業構造が短期間で変化す…

英会話は無駄である。英語を選択制にして、日本語を徹底せよ。マライヤキャリー。

東京でオリンピックの予定である。何かと騒がしい。おもてなし英語とやらで、英会話ごっこのパレードである。 日本人の英語力は低いというが、統計など持ち出さなくたって、我が身を振り返れば、すぐわかる。嫌々とはいえ、十年以上も学校で英語を学んできた…

北方領土を、戦争しないで、取り戻せるのか。教育と政治と古典の暗唱と。

戦争の結果とられた領土は、戦争しなければ取り戻すことができないのが道理である。もし戻るのなら、それ以上の対価を、相手国に払ってのことである。国家間の戦闘行為よりも、もっと大きなものを払うなんて、よほど法外である。すなはち、失った領土は戻ら…

小論文指導の、簡単な方法とは何か。その続きである。

小論文指導について、すでに書いたと思うが、その続きのようなものである。 対象年齢によって、変化はない。小学校5年生から大学院まで、テキトーに変化させて指導すればいいだろう。 簡明簡潔有効な小論文の指導方法は、次のごとし。子供が書いた文章400字…

剽窃、無断引用、盗用が得意な大学教員。良書は、公共図書館の書庫に眠っている。

大学教員はインテリということになっている。しかし日本の大学教員は、教員としての能力がない、または著しく不足している。それなら、研究者としては、通用するのか。理系はともかく、文系は言うも哀れ、語るも涙である。何ら新しい発想がなく、時間つぶし…