ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

家庭の食事は料理の品評会 鋭敏な味覚と環境

 

こんな話がある。

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家で毎日、旨いものを食べていると、外で食べることができなくなる。
長年の美食のために、味覚が異常に鋭敏になり、ますます食い物にうるさくなった。

私は、自身でも料理をするし、手際が良く、出来もよい。妻は、料理好きの家庭の育ちで、得意である。こういう夫婦の日々の食事は、味の品評会となる。

現役のころは、それでも、刺身と肉料理と鍋物との繰り返しで、なんとか満足していた。
毎日が日曜日で、自宅に引きこもるようになると、料理の時間が無限にとれる。食事は、繊細華美絢爛となって、いよいよ、特段に旨い料理しか、身体が受け付けなくなった。

時々、覗く居酒屋は、料理は論ずるに足りない。酒を飲むためというよりは、他人を観察する場所である。

 

家庭を持つ人と、単身者との大きな差は、食生活にある。ここにおいて、私は、単身者をつくづく気の毒に思うのである。
もっとも、既婚者だろうとも、以下の条件が満たされないと、旨い料理にはありつけないだろう。

第1 料理人の舌が肥えてなければならない。
繊細で鋭敏な味覚の持ち主でなければ、旨い料理を作ることができない。神経質で素早い動作も必要だ。

第2 ガスコンロの台所があり、食事室は別室である。
IHなどという電磁熱では、本格料理はできない。
煮炊きする場所と食する場所が同じでは、興ざめである。鍋窯や蛇口等が目に入ると、せっかくの料理が格落ちする。

第3 新鮮な食材が日常的に用意できること
信頼できる大型スーパーが徒歩圏内、または車で10分以内にあること。
料理人の腕が良く、食事場所がよくても、肝心の食材が手に入らなければどうしようもない。

以下略。


外食で、旨いものを食することは、極めて難しい。
あなたは、金銭を払って、他人の作ったものを口にするわけである。その他人は、あなたの今日の体調、気分、感覚、味つけの好みを伺うことをしない。誠心誠意、謹んで熱心に、あなたのためだけに、料理をするのでもない。
あなたの状態を問うこともなく、ただただ、注文された品を作る。店にとって、あなたは人ではない。「財布」にすぎない。


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以上のような話である。

日本人の味覚が破壊され、外食が増え、安直な食事になったのは、学校給食という、時代遅れの「拷問」に遠因があると思う。