ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

学校は子供の天国か地獄か。担任で決まるって本当か。

学校は子供の天国か地獄か。担任で決まる。などと言うと、教員がそれほどの者であるわけがない、と笑われそうだが、しばし待て。

 

以下、某人が語ることには。

 

ーーーーー医者は多くの人を殺してきた。100人殺して一人前とは、よく言ったもので、あの医者のせいで死んだとは言わないまでも、生き永らえるはずの人が、医者の「医療行為」で死ぬことがある。

 

子供は日々、学校にいかなくてはならない。学校は、それはそれは、怖いところである。

小学校では確実に、中学や高校では稀に、担任教員は子供たちの「神」である。

教員には逆らえない。逆らうとひどい仕打ちが待っている。

教員のせいで、本来、伸びるはずの子供が停滞し、有意義な時期の学業生活が、破綻することもある。

コロナ騒動は、これを助長した。医者への監視、教員への監視が甘くなり、彼らはますます増長した。やりたい放題勝手放題であろう。

些末な話はしない。あなたが医療関係者なら、言わなくてもわかるだろう。教員なら、議員なら、わかるだろう。

 

コロナがなぜ、教員を、ますます自堕落にしたのか。

答えは簡単。コロナは、すべての免罪符だからだ。

本来、親や子が持つべき、教員への批判的まなざしは、コロナごっこで、逸らされた。

手洗い黙読黙食さっさと帰宅。部活会議参観日研究授業すべて取り止め、郊外指導自宅待機の名目で、先生方早めにお帰りください、の連呼である。

大学の醜態に至っては言うもさらなり。大学教員は以前からご同様。学生は閉じこもり現象が加速した。

 

コロナで、仕事の影響が大きく出たのは、小学校中学校教員。高校も安楽路線であったが、かろうじて大学受験の縛りがあるから、少しは自堕落速度が緩かった。

 

コロナは、多くの医療施設で、親族知人の来訪を止める理由になった。入院患者の親族は気が気ではないが、コロナで面会させてもらえない。病院に任せるしかない。中で何がどうなっているのか、さっぱりである。ついでに言えば、医者の異常な収入増大はコロナである。

 

話が飛ぶが、議員連中も同様で、世間の注目はコロナに集中しているから、議員への批判監視の目がなくなって、ただ飯食らってニンマリである。2週間程度の選挙期間で頭を下げたふりをすれば、4年ないし6年以上の安楽椅子が待っている。「夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと 思いませんか~♪」が、コロナによって加速した。

 

ーーーとか云々。

 

酔漢の極端な意見はさておこう。

学校が、教員、とりわけ担任次第であることは、当然である。そう思いたくないのは、我が子または自分自身が、当たりの教員に当たってないだけのことである。幸運なんて、ほとんどないから幸運なのである。

 

コロナ騒動は、マスコミがどれほど煽っても、残念がっても、古い刺身である。いくらなんでも臭すぎる。

マスコミ商売人が、新鮮な話題を求めて右往左往する有様は、見苦しいというより、浅ましい。それでも、次から次へと無限に、うわさ話を吹聴することだろう。おめでとう。