ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

いつまで大学を閉鎖する。テレビ大好き人間、マスコミに騙されない教育。

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テレビマスコミは教育の敵である。国民の敵、亡国の徒である。
テレビに負けない人間になれ、といったところで、家庭も親も、生まれたときからテレビ漬けである。当人の知らないうちに、テレビマスコミに飼いならされている。

もっとも、田中美智太郎先生がおっしゃったように、「時流に飼いならされるのではないかと、自ら不安をもつような弱い精神の持ち主なら、むしろ飼いならされた方が幸せだろう」云々。ならば、従順な性質の日本人は、むしろテレビマスコミに踊らされて、死ぬまで踊り続けていた方が幸せなのかもしれない。


今回の武漢コロナ、別名、何が新型なんだか「新型コロナウイルス感染騒動」でも、マスコミの弊害は、はっきりと出たのである。
テレビが連日騒ぐと、国民の大部分は事実だと誤認する。

 

以前から、このブログを見るような奇特な人はご存じだろうが、コロナウイルス報道は、最初から怪しさ満載だった。
一体全体、武漢コロナが、人を死に至らしめるほどのものであるかが、はっきりしない。
どうやら風邪の一種なのに、大騒ぎする。やたら、恐怖心をあおる。タレント医者もどきや、宣伝大好き知事その他のパファーマーは、気色の悪いものだった。

目に見えないウイルス感染というゾンビ遊びは、学校の停止、商売の停止、人の動きや交流を禁止して、地球全体を覆う大イベントになった。
いやはや、困ったものである。

コロナごっこは、一部に莫大な利益をもたらして、その他大部分に、大きな損失を与えたのである。
狂っている。

 

3月に日本の多くの学校が閉鎖されたとき、教員たちは戸惑う素振りを見せながらも、本心では喜んでいた。例年なら忙しい3月が、休暇となった。
4月5月と長い有給休暇が続いて、教員たちは楽ができた。

6月現在、学校は変則的に再開中だが、やはりどちらかと言えば、安楽椅子である。

親からの授業への文句もない。子供に学力がつくかどうかなんて、どこ吹く風である。子供も何となく、ゆったりと安定している。
親は、子供が学校へ登校するという事実だけで、嬉しくてたまらない。託児所としての小中学校が機能してくれさえすれば、それで大満足である。面倒な昼飯も、学校が出してくれることの便利さが、骨にしみたことだろう。

かくして、教員にとっては、コロナ騒動は、良いことばかりだった。世間の好不景気に関係なく、給与は確保されている。6月のボーナスは、予定通り支給どころか、なんやかんやで収入増である。
教員のニンマリが想像できるだろう。

 

特に大学教員は、ひどいことになっている。
普段から、担当授業数が著しく少ないのに、大学は閉鎖中だから、何もすることがない。
ぶらぶら遊んでいること、小中高の教員の比ではない。

一体全体、若い盛りで元気いっぱいの大学生なんだから、大学は、一日たりとも閉鎖する必要はないのである。

大学教員は年配者が多いから、コロナにかかりやすいって? ちょうどいい機会だ。高齢の大学教員を淘汰するチャンスでもあったのだ。
雨が降るからといって、宅配便の配達回数が減るだろうか。大量の配達物は待ったなしである。それが商売というものだ。


大学教員も、もしも仕事としての教員ならば、やはり相手に合わせて授業をすべきである。教員の年齢や体力の都合で、学校を閉鎖するのなら、それはすでに、職業ではない。遊びである。
無能大学を潰せ、というのは、先から私の持論である。

 

さて、いつものように話があっちこっちで恐縮だが、憎むべきはNHKらのテレビ局と、ドタバタ劇を演じた(演じつつある)政府責任者や議員タレントどもである。
恐怖をうまくあおって、視聴率を稼ぐのはテレビの得意とするところだが、それにしても、かくも視聴者は、上手に騙されるものなのか。自己宣伝で職を得るのは議員の常だが、それにしても浅ましいではないか。

 

学校教育、特に義務教育で、マスコミに誘導されずに、自らの頭で物事を考え対処する人材を、どうすれば育てることができるのだろうか。

 

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以上は、2020年6月12日の記事である。コロナ騒動真っ盛りで、いよいよマスコミや議員タレントらの勢いが盛んだった時である。

あれから2年がたった。この間、皆さんごらんのとおりの体たらくで、ラブコロナを楽しんだ。狂乱状態は、マスコミ議員医療関係業種らに、莫大な利益をもたらした。損をしたのは、いったい誰なんだろう。とくと考えるがいい。

コロナは、利が続く限り終わらないし、終わらせないだろう。