ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員レベルと子供の学力 講演会の知ったかぶり スマホ脳

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教員志望者が減ってきているという。志望者が減れば、レベルも下がる。

女性にとって、教員はおいしい仕事であることには変わりはない。男女完全平等どころか、男性教員よりも優遇されていることが多い。

 

教職に人気がないのは、子供をおだて上げるあまりに、教員への敬意が相対的に下落したからだろう。
立場がないというが、本当にないのである。
ちゃんと場所を確保するには、教員の仕事内容を確認する必要がある。

教員は、要するに、児童生徒学生に学力をつけさせればいいのである。それ以外は、必要ない。学力向上に付随して、人間的感化が生じる場合があるにしても、子供の学力を向上させることができないとすれば、教員の意味はない。

子供の学力を上げるためには、教員自身も持続的に学ばなければならないが、これがなかなか難しい。
たとえば、小学校教員の場合、教えることに自信がない。医者などに比べて、専門職としてのプライドが感じられない。
そりゃあそうだろう。所詮、子供相手である。しかも、立派に躾けられた相手である(親を見てくれ)。
授業レベルも、下が見えないくらいに、落とさなければならないのだそうである。文科省のお達しである。
教員は、自分の知力や授業力や教養が日々向上している、という実感を持てない。「お子様」とその後ろに控える「親」とに、遠慮しつつ、お仕え申し上げることが、主な仕事内容になりつつある。

ついでに言えば、初等中等教育で一番大切な科目は国語なのに、文科省は、日本語を破壊しようと躍起になっている。
誰もが驚くほどの、お粗末至極な国語教科書。
耳を覆いたくなるような、発表会と称する、やらせのパフォーマンス。おまけに総合学習とやらで、発表会もどきをさせたがる。

源氏、平家、徒然、方丈、舞姫、李陵等々、日本語の名文をこそ、暗記させ暗唱させるべきなのに、たまにそれを学ばせようとする奇特な教員がいたら、保護者も行政もよってたかって邪魔をする。
彼らには、お粗末な教科書の駄文の方が、よほど大切なのである。

しかも、近年、国語を押しのけて、外国語を重んじようとしている。どうせ大勢の外国人フリーターを、日本の税金で養ってやるために、日本政府や財界の得意とする姑息な手段の一つだろう。

学校で使う教科書の中身は、
日本人のモノの考え方に少なからぬ影響を与える。国民の日本の伝統文化や外国への対し方に違いが出る。日本人としての誇りを培うのか、逆に日本国を貶める考え方を是とするのか。

本当にそうか。

実のところは、教科書なんて、どうだっていい。もちろん、表向き、教員は教科書を使って授業する。教科書の内容を尊重するふりはできる。
しかし、実際には、教科書よりも、教員と子供との、授業を通した人間関係のほうが、よほど大きな影響力がある。

たとえば、教員が、日本史の教科書の表現に疑義を述べるとする。児童生徒学生との関係によっては
、教科書よりも、教員の言説を信じる。
教員が、教育の中心なのである。教員の教養や体験をもとにした指導は、ほとんど、教科書の記述を無効にするくらいの力がある。

教員にも子供にも親にも、日本の教科書はおかしいという意識を持つ人が多い。特に、社会科や国語科の教科書に、日本の伝統文化を否定し、歴史を歪曲する記述を散見する。その教科書を使って、冷静に授業を構成するのは、教員の役目である。

こう言うと、いかにも、教員の恣意的な指導が行われて、危険なようだが、そうではない。一方的なイデオロギーに凝り固まった教員に、子供はついていかない。
子供は大人が考えるより、ずっと大人である。相手を見抜く力がある。
とはいっても、子供は、子供である。教員に簡単に騙されてしまうこともあるだろう。
だから、教育の眼目は、子供に自分で考え判断する力をつけることである。批判的な読み方や、思考を鍛えるための学習力を育てることが、教員の役目である。
教員の言説を無批判に信じ込ませることではない。まして、ネットやテレビ等のマスコミのオウム返しをさせることではない。

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しかしながら、ここに大きな障害がある。ネット動画である。スマホである。これらは、落ち着いて考えて判断する隙を与えない。扇動情動、判断停止、大勢同調を得意とする。

人は、自分を他人に託すことが、大好きだ。他人の大言壮語を聞いて、自分で言った気になる。気分がいいのである。偉くなったような気になるのである。一時期(今でもそうか)、妙に流行った講演会と称するほら吹き漫談が好例である。

今日、ネット動画には、あることないこと、吹聴する者どもで溢れかえっている。講演会は、なるほど、毎日のように開かれている。フォーラムだそうである。ぷれぜんてーしょんだそうである。議論である。偉いのである。物知りなのである。

まさに笑止千万。スマホから顔を上げて、図書館に行って、良書を探して読むことが、まさに善きである。

 

 

初出 20170814

改訂 20230906