ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

中国や朝鮮に媚びる教科書、無駄の多い授業。他学級を嫉妬しても、損するだけ。

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かつて、中学校の歴史教科書の内容について、シナやコリアが、非難してきたことがあった。

小学校の教科書については、どうなのか。

今のところ、表立っては文句は出ていないようである。
中国や南北朝鮮にとって、おおむね都合のよいことが書いてあるからだろう。

小学校6年の社会科教科書『日本の歴史』(東京書籍)を見てみる。
例によって、日本を、太古の昔より卑しめ、あたかもチャイナの属国であるかのように思わせること、また先の敗戦に至るまで、日本の外交政策は「侵略」であり、指導者たちは常に判断を間違っていたこと。今後も、アジア周辺諸国に対して、ことあるごとに謝罪をすべきこと云々が、手をかえ品をかえて説明されている。特にチャイナに対しては平身低頭である。

一例を挙げようか。「おじいさんの話」の形を取った囲み記事では、

「わたしは、中国大陸で中国軍と戦いました。わたしたちは、広くアジアの人々のためを考えているのに、中国はそれを理解しようとはしないと教えられ、わたしもそうですが、多くの人がそれを信じていました。それなのに、日本軍は、中国の村や町を破かいし、多くの中国人の命をうばったのです。いっぽうで、日本人も大勢戦死しました」
なんという卑しい書きぶりであろうか。これはどこの国の教科書なのか。チャイナは全て善い。日本は悪だ、という観点で書かれている。ご丁寧にも、その横には、女の子の吹き出しで「中国の人たちは、日本のことをどう思っているのだろうか」と言わせている(東京書籍『新しい社会6年上』)。
答えは「不快。ひどい。残酷、うそつき」等々を予想している。
子供が言わなければ、教員が言って聞かせるのだろう。

教員は、この授業で何を狙うか。
「日本はこれからずっと、チャイナに対して謝罪し、経済的に援助を続けるべき」ことを、子供に教え込みたいのである。

開いた口がふさがらないとは、このことである。まったくもって狂っている。このような教科書が採択され、実際に小学校で教科書として何年も使用されている。
採択者たちは、どう責任をとるつもりなのか。それとも、本当に、賛同しているのか。だとしたら、恐るべき確信犯である。

偏った教科書の一方で、本来するべき基礎学力育成の授業は、無駄が多く、効果的ではない。特に小中学校にその傾向が目立つ。
子供の授業時間を大切にしていない。教授効率が悪い。
高校は進学校と呼ばれる一部の例外を除いて、時間を無為にしている。大学はそもそも授業効率というような段階ではない。ほとんど時間つぶしである。

小学校の低学年から中学年そして高学年へと、学習内容が複雑かつ高度な「ようなもの」になっていく。それにつれて、授業方法もまた、工夫したものとなり、深化すべきものであるが、実際のところは、そうではない。
6年生は、小学校の授業の学習のまとめの学年にもかかわらず、教科の全体像が、担任教員に把握されてないことが多い。
教員によって教科への得意不得意があるにしても、初等教育で、読み書きそろばんが、大切であることは、国民の常識であろう。国語と算数とが、中心科目である。

教員はだれでも、国語数学は得意であってほしいし、教授力学識ともに、一定レベル以上は持っていてほしい。     
万が一、教員が主要2教科に苦手意識を持っているとしても、それと教授力とは、完全に連動しているわけではない。むしろ逆の場合もあり得る。
ショパンコンクールの入賞者ではなくても、音楽教室に通ってくる子供にピアノは教えられる、効果的な指導はできる。その教え子が、リスト国際ピアノコンクールで入賞することだってあり得るだろう。

教員の実力は「教えていくら」の世界である。より具体的にいえば、子供の「成績が上がっていくら」、の世界である。目の前の子供の学力をつけることが、最大の役目である。
当然ながら、教員自身の学識や教授力向上のためには、不断の研鑚が必要だ。

教員は学習指導要領の枠内で、独自性と発想とを発揮して、授業する。児童生徒の学力を伸ばしてみせる、伸ばさなければならぬという危機感と、使命感が必要だ。
しかし、特定の教員の学級が突出すると、他の学級の保護者が騒ぐことがある。その学級と我が子の学級との格差に、嫉妬と焦りを持つ。瑣末な点を探し出して、熱意のある教員を批判非難をする。足を引っ張るのである。
嫉妬は人の常だから、仕方がない。しかし、我が子が、当たりか外れか、どの担任の受け持ちになるかは、運である。運が悪いからといって、当たり教員を批判しても無駄である。どころか、害になる。先進する教員の授業工夫や学力向上の意欲を、減少させることにもなりかねない。その結果、我が子の学級のレベルも、結局は、今よりもさらに下がってしまうのだ。

学年が5クラスあれば、突出した1学級のおかげで、他の4学級も、それなりに向上する。

しかしながら、他学級の親が焦るくらいに、学力向上を目指して、本気で授業に取り組む教員は滅多にいない。いたとしても、実際に効果を出せる教員はごくごく稀である。
安心していいのである。

 

注:シナまたはチャイナ(China)とは、中国(中華人民共和国)のことを言い、
コリア(Korea)とは南北朝鮮(大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国)のことを言う。

 

 

 〇 穏やかでない書名だが、内容は穏当。生徒指導担当なら読んでおくといい。

新装版 治療論からみた退行―基底欠損の精神分析

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