ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

コロナが流行れば、飯がまずくなる。ワクチンの在庫一掃セール。

先日、ちょいと値の張りそうな料理屋で、知人が言うには。
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近頃は、居酒屋で酒を飲むのはいいが、肴がない。

あるにはあるが、そのほとんどが口に合わない。
理由は、はっきりしている。長年の美食が祟って、わが味覚は極端に鋭敏となり、少しでも雑味を感じると、口が喉が体が、うけつけない。

ビールは、所詮、水みたいなものだから、よほどのことでない限り、のどを通る。店員から、アサヒかキリンかと問われて、ドライ、と一言で済む。
問題は、肴である。料理である。

これが不味い、とことん不味いのだ。いかほどの店であっても、十中八九、まずい。
そりゃそうだろう。料理人は私の体調や機嫌を伺って、誠心誠意、私のために料理をこしらえるのではない。客の意向も聞かずに、流れで、勝手に作るのである。
そんな料理を食べるのだから、旨いわけがない。
これでは、客のほうが、店に、自分の味覚を合わせてやってるようなものである。その上に、金まで払わされるのだから、とんだ災難である。

 

私は料理ができる。のみならず、上手である。最高級に上手である。
妻は料理がうまい。私の薫陶に加えて、妻の母親が料理好きだったから、味覚も上等である。
こんな夫婦が、毎日自宅の台所で、料理を作り、かつ豪華絢爛と食すのである。
多数の客相手の料理屋とは、段違いである。外食など、できる道理がない。
まずい食事は、すでに拷問である。

 

それはともかく、世間は、特に、行政・マスコミは、よせばいいのに、まだコロナごっこを続ける気である。もっとも、そんなことは最初からわかったことで、儲けがある限り、コロナ騒動の火種を絶やそうとはしないだろう。

ワクチンごっこも、まだまだ続く。在庫一掃セールどころか、人類の最後の一人まで、×▽剤を腕に打ち込もうと、やる気満々の体である。

ワクチンは、人によっては、危険な代物で、体内に異物を入れるのだから、健康にいいわけがない。しかも、その効果は極めて怪しいときているのだから、何故に、喜び勇んでワクチン接種に行くのか、理解に苦しむ。

ーーーー とか云々。

おいおい、店に聞こえるぞ。

 

知人の言うことに反論はしない。むしろ同感である。

近年、食い物屋の味が落ちた。コロナ騒動以来、多くの店の料理レベルは、急落した。

 

冷凍食品だのレトルトだの、ウーバーなんとか、○×ピザだの、宅配おかずだの、何が何だかわからない。もはや、人々は、食物らしきものを口にあてがわれるロボットである。

 

美食家を育てるには、三代必要という。
今の子供の親は、ほどんどコンビニ育ちである。旨い不味いの見分けも付かない。塩辛く油濃くしていれば、それが上等な味だと思っている。それしか判断することができない。そんな親に育てられた子供らである。


CMで、会社員が「今夜の食事にいただくのは、宅配のラーメン」だと。愉快な宣伝ではないか。

 

食は、人生の楽しみであり、無上の快楽である。

それは他人に任すべきことではない。日々、自分自身の体調興味に合わせて食材を集め、自ら作り、食すべきことである。

人生の喜びの一つを、安直に買おうなんて、虫が良すぎるというより、哀れを誘うではないか。奴隷は食い物を投げ与えられる。現代人は金銭を差し出して、食い物を乞うのである。