ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

高校の制服は自由。女子高生は「売り」がなくなる。

LGBTQとか、ジェンダー論とか、話題である。
首相秘書官の荒井某が失言したとかで、急にマスコミや議会が騒ぎ始めた。相も変わらない幼稚園である。

性にまつわる問題は微妙でもあり、近づかないのが吉である。人それぞれの事情や体質、考え方があるので、個人の好き好きでよろしい。

 

人は、ある一定のコンディションをもって生を受ける。人種、性別、知性、身体、感情、時代、美醜他等々、特有の条件のもとに生まれてくる。それを今さら、どうのこうのと、評することではない。
個々人の問題である。多様な価値観というが、多様どころか、千差万別無数なのだから、他人のそれに、とやかく言うべきことではない。自由でいいのである。他を排斥してはならないのである。

しかし、個人の内心の自由も、絶対守るべきことで、ある対象に対して、何を考え、どんな感想を持とうとも、これまた自由であり尊重されるべきことである。

荒井某は、立場を考えずに口走ったのがいけないのであって、彼の内心の自由は、侵すべからざることである。


さて、ジェンダー論のあれこれには、賛同すべき点が多い。学校現場の経験や、フロイト好きとしても、何等の違和感がない。

ここに縷々書くのは憚られるが、ともかくも、人には両性の要素がある。その一方を擁護し、一方を排斥することは無駄というより無理である。

 

例えば、学校の制服も、男女で分けることに固守する必要はない。どちらでも好きにさせたらいい。似合う似合わないは、本人が一番わかる。いずれどちらかに落ち着くし、それで本人が納得するだろう。


開成筑駒灘その他、いわゆる有名進学校は、制服がないが、特に支障がない。
制服で得をするのは、JKブームで、女子高生という立場だけが売りである女子生徒本人たちである。制服の自由化に反対するのは、むしろ女子高校生たちではないのか。

女子高の制服を撤廃すると、中には、めちゃくちゃな格好をする者が出てくるかもしれない。それもまた、いずれおさまるところに収まるだろう。何度でも言うが、似合う似合わないは、他人の視線より、まず本人自身が気づくのである。
人の、美の感覚は鋭いもので、持って生まれた能力である。自由に任せて何ら問題ない。

同性婚も、自由でよい。現に、スマホアプリ婚姻が増えた。契約婚も増えた。

すべての流れは多様化する。無理に急流にする必要もないが、そもそも防ぎ切れないものである。

興味がなければ近づくな、ほおっておけ。嫌なら仲間内で吠えておけ。政策にかかわる職業の者は、言葉が命なのである。それがわからないお喋り者は、職種替えすべきである。