ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

学校は危険がいっぱい。極端に荒れた子供を、許してはならない。

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子供が荒れるのは、すべて理由がある。それにしても、荒れがあまりにひどい子供は、精神疾患の可能性がある。
しかし、親は学校の指摘を、信じない。信じたくない。だから、然るべき機関の診断を受けさせない。

教室で「軽い傷害事件」があるくらいでは、教員は、ちょっと怒ってみせて、笑って済ませる。よほどの時でも、加害者の子供を叱責し、被害者の子供の親に連絡するくらいである。


学校には、管理責任がある。児童生徒学生が学校にいる間は、平穏無事に時間を過ごさせることが、建前である。
子供同士のトラブルが、精神的なもの(これは目に見えないので、言い逃れができる)にとどまらなくて、身体的なダメージを大きく受けた場合(傷が外見上明白である、病院の記録に残る)は、責任問題となる。


そこで、子供同士のトラブルは内々で解決して、親を巻き込みたくない。親に連絡する場合は、連絡しないと、あとあとやばくなりそうな案件だ。

加害者の子供への「指導」が、学校教員だけでは効き目がない場合、親から「叱ってもらえれば」、少しは効果があるかもしれない、とニヤリもある。

子供の荒れは、増長させると、実に危険だ。中学、高校と、暴力的色彩がどんどん強くなる。
小学低学年の子も、いわゆる「切れた」状態になると、鉛筆を半分に折って逆手に持ち、周りの子供の顔を突き刺す行為にでる。
これはテレビドラマなどの喧嘩のシーンで、ビール瓶を割って凶器にすることからの発想だろう。
こういう子供は、家庭が荒れていることよりも、本人の器質的な異常を推測せざるを得ない。

「きれた」は、便利な言葉で、その行為者自身よりも、その相手側に、切れた状態を作った責任があるかのようなニュアンスがある。

判断能力が一時的に不可となったのだから大目に見ろよ、というわけである。面白いのは、加害者の子供自身が「キレたのだから、仕方がないだろ」なんて言う。やはり隔離病棟の出番である。

問題を頻繁に起こす子は、悪人なのだろうか。
子供は、ひとり一人は素直でよい子である、などと言う。
それはそうだろう。小中高校生に、極悪人はいるかもしれないが、いるにしても稀であるし、子供の犯罪なんて、今のところ、たかが知れている。

身体に手製爆弾を巻きつけて、ゲームセンターやコンビニで自爆して、何十人も殺したケースは、日本では聞かない。

子供の「問題的行動」は、学校という集団学習環境で、著しく学習妨害をする場合に限る。
授業に無関心であろうと、寝ていようと、それは本人である。しかし、他の子供に、直接に学習妨害をすることは、大問題である。有形力の行使が多いから、怪我に直結する。
この程度の「悪人」は、全国津々浦々の学校には、ありあまるほどいる。

「義務教育は、原則として退学・放校がないからなのか、または玉石混交の悪い面が出たのか、それはわからないが、こんなガキどもには、鉄槌を食らわす必要がある」と話す威勢のいい人は、現場を知らないだけで、実際は加害者の子供が、学校では、逆に大切にされている。

学校は不思議な施設で、白黒を、はっきりさせない。問題行動ばかりの子供を、崇め奉る。「悪ガキ」を排斥しない。逆に、おとなしくまじめな「よい子」を、排斥する傾向がある。


以上のことは、現場教員なら、思い当たるだろう。

なかなかにハリポタな不思議な世界である。日本人の感情の魔法、とでも言おうか。

手のかかった子供ほど可愛い、なんて寝言が一時期流行ったが、さすがに今は言わない。
数人の「問題の子供」に、時間を取られてしまうと、他の大部分の子供に迷惑がかかる。であるのに、その張本人を可愛いなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。
子供の皮をかぶった「悪人」を、教員は、決して許してはならない。