ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

内容のない講演会。授業で子供に発表させるときの諸注意。

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授業では、子供の発表が流行りである。小中学校で多い。
国語や社会科等では、題目はいくらでもある。
プリントを自作したり、模造紙に大きく図を描いて示したりする。発表のために、調べたり、資料を作ったりする時間が、一番楽しそうである。

子供に限らず、発表には、上手下手がある。
何かを相手に理解させるわけだから、策略がある。
最初に、題名、大体の内容、発表理由を言う。
主題、要約、研究理由である。これらは、相手のためでもあるが、発表者自身が混乱しないためでもある。自分で何をやっているのかわからない発表もあるから。
講演会で、講師の名前とともに演題が大きく書かれているのは理由がある。
題目がいつも目に見える形でないと、聴衆はすぐに混乱する。
大学教員や評論家の類の芸人連中ですら、そうであるから、教室での子供の発表は、題名を板書またはカード表示をさせておく。

あごをひいて、聞き手の目をみながら話す。一ヶ所を見つめすぎてもいけない。あらぬ疑いをかけられる。俯いてばかりだと、落ち着かないし、頼りなく感じる。

大きめの声で、ゆっくりと話す。ゆっくり過ぎると間延びするが、早口よりは、ましである。相手は、発表者よりは題目について知らないことが建前だから、噛んで含めるくらいがよい。
実物や、図表などの資料を示すと分かりやすくなる。資料の説明は、横に立ってすること。真前では、肝腎の聴衆には見えない。指示棒または光ポインタを使うとよいだろう。

二つのことを同時にすると、せわしい感じになる。話しながら資料を出したりするのは論外である。だまって取出し、何が始まるんだろうかと、ひきつけておいて、頃合いを見計らって、この表によりますと、などと話し始めるとよい。

発表の最後に、全体のまとめを話す。途中でも話の変わり目ごとに、小さなまとめをしていても、結論部分で、必ずだめ押しをすること。
聴衆は分かっているようで、分かっていないことが多い。話し手の期待する十分の一でも理解してくれたら御の字である。

聴衆は、途中を飛ばして結果だけを欲する傾向がある。まとめをすれば、自分も相手も自分自身に対して納得するのである。分かったような気になるのである。
そうかそうか、こんな話だったんだよな。よくわからなかったけれど、要するに、そういうことだったんだ。
ほとんどの講演会は、こんなものか、それ以下である。

教員、特に大学のそれが、芸人気取りで、テレビや講演会等で愚説を吐くことを、苦々しく思っている。
あれは公娼の顔見世巡業であり、著書と称する語り下ろし本のキャンペーンであり、三流芸人並みの稚拙な芝居のごときものである。
あんなものを、身銭を払って見に行くなんてどうかしている。

誰でもが、時の話題の類を、簡単にわかったような気分になりたい。口達者な芸人話者に壇上から口説かれて、ご満悦で会場を後にするのである。即席「知識人」、「意識高い系」の出来上がりである。
おめでとう。

 

 〇 案外に読みやすい。

論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)

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