ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

新型コロナウイルスは、マスコミと公務員が仕掛けた大博打である。 スマホピコピコさんに、コロナ「危機」を授業できるか。

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知人嘆いて曰く。


だれもが気づいているだろうが、新型コロナウイルス騒動で、いちばん利益を得たのは、マスコミ関係者である。具体的にはテレビラジオ新聞雑誌、ネット業者、それらに駄文を売って稼ぐ連中。
コロナを話題にしさえすれば、金が入る。これほど、うまい商売は、これまで、戦争を除いては、なかった。
だから、今もこれからも、コロナウイルスとやらの「恐怖」の宣伝拡販、植え付けをして、ずっと儲けようとするだろう。

議員および国都道府県その他公務員は、以前も安泰だったが、コロナごっこ以来、ますます安泰となり、組織はより強固となった。なんでもできる。

例えば某首相のケースは、本来ならば、訴追逮捕である。しかし、それもない。コロナを語れば、某知事のように選挙も独り勝ちできる。政策の比較検討もしない。ただ、コロナコロナと煽っていればいい。マスコミと大連結、お仲間で、なーに、ニッコリ手を組んでコロナで大儲けである。

 

かくも、低劣下劣なる連中を、有難くご指導ご鞭撻いただくべく仰ぎ見るのが、私たち国民である。鏡を前に、自分の間抜け面をつくづく見ながら反省するに、まあ、これでいい、この程度がお似合いかな。結局は、誰かに騙されるために存在するのが、私たち国民ひとり一人である。

そのために、マスコミを作り、手段がどうあれ代表制政治体制を作った。某チャーチルも言ったように、「最低だがこれしかないな」。

 

スマートフォンと称する、「思考破壊兵器」を高額にもかかわらず自分から喜んで購入し、四六時中それを眺めて、ぼんやりした頭でゲームをし、動画を眺めている。
思考を鍛える読書なんてしたことがない。ただ、スマホピコピコで生きている。
子供から大人まで、スマホ中毒が完全に普及した。もう大丈夫である。あとは、マスコミ宣伝屋の思うがままである。

その効果検証実験のひとつが、今回の「新型コロナウイルス騒動」である。騒ぐのが、発生源の中国と南北朝鮮と日本だけくらいなら、例によってご苦労なことだと、笑っていることができたが、こともあろうに、今回のコロナごっこは、世界中を巻き込んだ。
冷静なはずのドイツイギリスフランスや、大国アメリカも、大騒ぎになった、または、そのふりをしたのは、意外であった。
志村けん流に言えば、「殿、ご乱心が過ぎますぞ」、である。

 

何度も言うが、コロナウイルスは、風邪の一種で、なんら騒ぐ必要のないものである。人類全員が感染したところで、問題ない。というより、感染するしかない。感染しない理由がないだろう。完全に防ぐ手立てはない。だから、いずれ感染するだろうし、その結果、収束する。

こんな明快な事実を推察できないなんて、想像力の欠如である。

コロナごっこで、毎日大騒ぎするどころか、国民経済にダメージを与えてしまう諸策を実行してしまうなんて、笑い話にもならない。

 

感染するものならば、一刻も早く感染した方がいい。感染を遅らせれば遅らせるほど、マスコミと公務員の利益は拡大する。そのためのコロナ話題の延命ということが、理解できないのだろうか。まあ、理解できないのだろうな。もとより、理解したくない。ずーとこのままコロナで酔いたいのである。他人の指示で、踊らされていたいのである。
それでいい。それこそが、敬愛すべき日本国民であり、それしかないだろう。

だから、今後も、マスコミ関連業者及び政治屋を中心とする公務員のために、せいぜい、新型コロナウイルス話題で、盛り上がってくれ。

 

ーーー
と、以上のような話である。
さて、どうしたものか。
たしかに、私たちは、コロナウイルスに感染してしまうことが、それほど大変なものなのかどうかは、身をもって知らない。政府自治体とマスコミの話題だけである。
コロナの死亡者というが、主要因がコロナで死んだのかどうか不明である。それほど致命的なウイルスとは、誰も信じてはいない。
コロナは、風邪である、または肺炎である。
であるのに、マスコミと政治公務員は、大袈裟に報道宣伝する。

すでに子供に広がっているだろうことは、想像できる。というより、子供の大半が、すでに感染していると推測できる。検査してないから、推測としか言いようがない。
子供でも大人でも、大部分は、無症状というか、平気である。風邪菌を持ったからといって、誰でもが風邪を「ひく」わけではない。ほとんどは、無視である。
だから、コロナウイルス(実際存在するものならば)は、どんなにがんばっても子供には広がらない、と考えることもできる。感染させようがない、拡大しようがない。若い抵抗力が勝ってしまうからである。

事程左様に、コロナウイルス騒動は、不明瞭不明確、怪しさ満載で、これ以上、話題にするのも、バカバカしいのであるが、現実に、毎日の生活を束縛しているので、やはり知らぬ存ぜぬを決め込むこともできないという、困ったテーマである。

 

もともと、ぱるるの教育批評は教育、特に学校教育についてのあれこれを話してきた。そのはずだったが、学校現場も、コロナウイルス感染騒動に巻き込まれ、都合よく利用されてしまっているので、今年は、何度かコロナウイルスの類を書いた。

 

思い出したが、ついでに言えば、ネットの売文業者はコロナで収入が「激増」している。
たとえば、新聞社などのマスコミに勤務し、中途退職後フリーとしてネットに売文する輩が多くいる。この連中は、コロナ話題をばらまいて、笑顔が止まらない。
情報源は極めて怪しい。彼らは、外国新聞デジタル版、個々人のブログ、その他ネット上で情報らしきもの、アイデアらしきものを、血走った目でかき集めて、それらを加工して文章をでっちあげて、売文する。卑しくも、面白い稼業である。

 私は翻訳物のフランスの古い本をよく読む。読むたびに感服する。
彼らの明晰明快さを求める思考は、どこから来たものかと思う。
はっきりしているのは、古人の、例外なく、読書の質量ともに、実に豊富なことだ。

教育は、読書、それも内外の評価の定まった古典のみを、眼光紙背に徹するほど、読ませるしかないのではなかろうか。

当然ながらスマホピコピコ人間では、駄目である。

 

拙文で、古人は言った、と時々書くのは、こういう理由からである。