子供が変わった。社会も変わった。
と、誰も彼もが、口を揃えていう。
たとえそうだとしても、だから学校も変わるべきだ、というのは、ずいぶん変な話である。
少々では変わらないのが、変えてはならないのが、文化伝統である。
学校も一種の文化である。
それが無闇に変わってどうする。
過日、地方都市で教育長をしていた男が、旅のついでに、某市の中学校の授業を参観した。そして授業後、感想として、こう言った。
「私が授業を受けていた50年前と、やってることは同じですな」
それを聞いて、関係者一同、反省すること、しきりだったとか。
馬鹿だな。反省なんか必要ない。
50年前と同じで、問題ない。
何年たっても、児童生徒学生と教員との関係、学校の存在、教え学ぶ行為、それは変わりはない。
元教育長の言ったことは、年寄りの戯言と、笑っていればいいのである。気にするな。
教育関係者は、常に自信不足で、しかも不安である。
教育行政に関係する人々、教育事務所(教育委員会)の職員は、寄って立つ場所がない。実践がないからである。
たとえ教員経験があって、それなりの知識を多少持っていたとしても、やっぱり腰が定まらない。
彼らばかりではない。
先の大戦で負けて以来、進駐軍や1946年憲法、共産主義、為にするマスコミの洗脳、その時々で、国民の意識は揺れに揺れて、敗戦後のGHQ支配が呪縛となってしまった。宗主国アメリカに、政界マスコミ官僚組織その他一同、まったく頭が上がらない。
後遺症は、これまでも今も、これからも悪い状態で残り続ける。
以上のように言うと、不勉強で、しかも「歴史認識」とやらが苦手な大方の教員は、顔を顰めるだろうが、教員たるもの、少しは自分の頭で、考えた方がいい。
採点と授業の準備で追われているばかりでは、世間がますます狭くなる。
ここで言う世間とは、私たちを取り巻くテレビラジオ新聞雑誌、同僚その他の言説のことではない。
現実の社会に日々起こる物事を、根本から自分で考える態度のことである。
昭和の時代、司馬某という新聞記者上がりの作家が売れて、売れすぎて、国民の常識にまでなった。ある種の危険な扇動者でもあった。
どんな常識かといえば、日清や日露の戦争までの日本人は偉かった。明治維新は立派だった。吉田松陰、坂本龍馬等々は維新の英雄である、とかの決めつけである。
しかし、考え方によっては、坂本龍馬らは、英国に唆された若手のテロリスト達だったという見方もある。
明治維新がそんなに偉いことなのか。鎖国と呼ばれている状態が、日本にとって悪かったのだろうか。徳川の治世は日本の幸福な時代ではなかったろうか。
何事も、多面的に考えなければ、結論は出ない。長い年月を書物とともに体験しなければならない。
誰かの口真似で信じ込むことは危険である。新聞テレビ雑誌は他人の考えである。自分に都合よい言説を押し売りする。国民はそれを喜んで買うのである。
だから、古人は、新聞は国を滅ぼす。一度ならず二度三度と滅ぼすだろう、と言ったのである。
明治の人が日本人なら、江戸も鎌倉も、平安時代も日本人である。
日本には日本の教育がある。みだりに変えるのは心なき業である。
〇 原典が一番わかりやすい。紹介本などは時間の無駄である。