ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

新校舎建設ラッシュ。たくさんの学校は不要である。NHKマスコミの宣伝を鵜呑みにして、時流に迎合する。

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子供の数は減りつつあるのに、あちらでもこちらでも学校をどんどんつくっている。
学校の数が増えているばかりか、既存の学校も、規模を拡大している。
競って、校舎の新築増築、新学部学科の増設である。傍から見ていて、気味が悪い。
どうせ、ろくな教育も研究もしていない、できないだろうに、痛々しい。

肝心の教員が力不足である。生徒学生諸君も、玉不足である。
どうやって経営していくつもりだろう。例によって、税金から、ちゃっかり填補してもらう気なのだろう。

道端のコンビニエンス・ストアの如く、瞬時に、即席店舗ができあがる。集客競争の挙句、潰れてしまったり、生き残ったりで、落ち着くところに落ち着くのだろうか。

学校は減った方がいい。大学に至っては、無駄の極致である。
にも関わらず、野放図に増やしているのは、なんらかの利害があるに違いない。利の源泉は、国民の税金と、庶民のなけなしの貯蓄とである。利を得るのは、人口の数パーセント以下の何者かである。

教育は「ビッグビジネス」で、商売人からすれば、これほどおいしい標的はない。
多くの家庭からすれば、
子供の教育はリスクの塊で、最悪の投資先となっている。しかし、出産育児は人の定めのようなものだから、是非もない。

問題は教育の中身である。
義務教育期間は、法の定めがある。従うしかない。
しかし、中学卒業後の進路については、国民一人ひとりが、などと大げさに言うまでもないことだが、家庭が、つまりは、子供の保護者が、よーく、熟慮しなければならない。

もはや、一斉に並んで歩いて行くような、同質教育時代は終わっている。

みんないっしょ、みんな同じでは、効率が悪すぎる。何より、人間的ではない。奴隷の集団である。または、痴呆の集団である。あるいは巨大遊園地で、運命を甘受して、粛々とアトラクションを並んで待つ有象無象の民である。
学校には、価値の残滓すら、残っていないのか。

 

以上は、巨大なクレーンが新校舎を積み上げるのを見て、知人が言ったのである。

あれもこれも、教育政策を、空気だけで決める愚かな文科省や、利を見る大学教関係者マスコミNHKらの有象無象の欲である。

と、こう書くと、何だか、突拍子もないことのようだが、考えても見るがいい。
先の大戦の発端になったのは、結局のところ、新聞の宣伝と、私たち国民の雰囲気、空気である。
日本国民の特徴は、大方の流れに、すぐに迎合する。大局を見ない。のぼせる。そして潰れる。

オバマが米国大統領になったとき、関東の某大学を中心に、オバマに夢中になって、新しい時代だとかなんとかで、就任演説を、授業の中心題目とした。多くの英語教員も同様に熱中し、オバマのテープやテキストが「馬鹿売れ」した。
マイケルサンデルとやらの「講義」の類も、NHKが大宣伝をして、大当たりした。
一時の流行に、目の色を変えるのは、愚かしさを通り越して、浅ましい。

現在に不安ならば、福澤諭吉を読んだらどうか。近代から現代、そして未来へのいくばくかの展望は、福澤全集にちゃんと書いてある。
教育は、自国の文化伝統を教えればいいのである。本を読み、冷静な判断力を養えばいいのである。どうせ明日は、やってくる。