ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

高校の授業料が無料なら、大学も授業料タダが筋である。大学教員の精選と意欲ある学生。

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教育には、金がかかる。
高校の授業料が無料またはそれに類似したものになって、久しい。

憲法にも、教育の機会均等の名目で「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければ」ならない、とある。だったら、義務教育ではないが、高校も無料でいいだろう、という安直な発想である。
外国人に日本国民の血税をくれてやるより、日本の子供のために金を使ったほうがいいに決まっている。
どうせタダにするのなら、高校のみならず、大学もそうしろ、と言いたいところだが、話は別なのである。大学の「授業」は、税金補填までして無料にする価値があるかどうか。

大学は、およそ教育現場とは思えない遊園地である。
大学経営者や大学教職員は、高給を得ている。親や学生が高い学費に苦しんでいることなど、どこ吹く風で、相変わらず暴利を貪っている。

私立高校も、公立校なみに、月謝がほとんどただ同様になってきた。やがてはすべての高校は、タダとなる。
これが大学に波及しないのは、親は、大学には金を献上してもよいと思っているからである。怪しい情熱だが、まだ、大学ブランドを何となく「素敵」に感じているのだろう。哀れである。

 

学校教育は、すべて一律に無償であることが望ましい。
しかし、その権利は、義務教育期間までで、それが過ぎれば、厳しい試験に合格した者だけに高等教育を受けさせるのが、本来の姿である。でなければ、一億総愚民の再生産である。スマホ中毒と相乗効果して、条件反射奴隷の拡散が続き、誰かの思うつぼである。

 

大学や大学院の授業を、より洗練させなければならない。

実力のある教員を選抜採用して、意欲と能力とのある子供に、無償の大学教育の機会を与えるべきである。
タダにはリスクが伴う。教員も子供も、教授能力や学習成績如何でどんどん馘首、落第、退学させれば、筋が通る。

大学に行くばかりが能ではない。義務教育を終えれば、各種専門学校、徒弟制度、現場で働く、その他種々の進路がある。さっさと手に職を得るのも一法である。
本人の幸せにもなり、外国から怪しげな移民と称する工作分子を入れるより、よほどお国のためになる。

近代日本は歪に生きてきた。それをここに詳述する根気がない。詳しくは、ご自分で調べてくれ。

教育をタダにできるのは、国民の税金を投入するからである。ならば、国家国民のためになる人材が育たなければ、なんにもならない。今のままでは、無能な教員の餌代にしか、ならないではないか。