ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

難関私立中学校は誰でも受かる。中学受験は、簡単なゲーム。これからは国公立の時代になる。

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中学と高校とがワンセットで、いわゆる難関大学や国立大学医学部に多くの合格者を出す学校。これが小学生と、その親との、第一の目標である(らしい)私立中高一貫校である。名門なのだそうである(国公立高は、今のところ分が悪い。名門とやらの指標となっている東大合格率が、最も高いのは筑波大学付属駒場高校だが、これは例外)
特定中高の、何がいったい名門なんだか明白ではない。どうやら、偏差値だけは高い大学に多く進学できる、またはできていた、という統計または評判が大切のようである。

 

こういった中学の入試をクリアするには、それなりの高得点が必要だ。

以前は、学級の中で、「よくできる子ども」が受験した。それでも、少々では受からなかったし、受かる子どもは、他から見ても相当に優秀だった。
ところが近頃は、簡単に受かる。「えっ、あの子もこの子も受かったの」というあんばいに受かる。

これはどうしたことだろうか。都会でも地方でも、難関私立中学が、意外にも簡単に入学できるのだ。

これには理由がある。
第一に、子どもが少なくなった。
だから、本当の競争率が低くなった。倍率が高くなったのは見かけ上で、猫も杓子も受験して、受験者数が増えただけなので、もとより、一応の勉強をしている子にとっては、恐るるに足らない相手である。

第二に、受験対策が洗練されてきた。
私立中学と学習塾はお友達である。ともに仲良く補完し合う。塾にとって、私立中学の存在は経営存続のために不可欠だ。
私立中学にとっても、塾で鍛えられてきた子は、公立小学校で十分に教えていない内容を、すでに「履修」済みである。勉強癖もついているし、テストをこなす手際のよさと主要教科の基礎知識とを、すでに持っている。中学入学後の指導が段違いに楽になる。

だから、小学生の時から塾に通い詰めてきた子どもが望ましい。
親も、毎月の塾の高い月謝を払い慣れている。教育には金がかかることを、親子ともに骨身にしみているので、どんどん金を出す。私立中学にとって、扱いやすい客だ。

 

学習塾への投資は、高額ではあるが、嘘か真か、塾での学習が、受験当日に素晴らしく役に立つ。ドンぴしゃりである。これでは、誰もが塾へ行く。
逆に、優秀であっても、塾に行ってない子は、受かりにくくなった(一説には「不可能に近い」)。今や合格通知は、ある意味で、金銭(塾への支払い)で買うものとなったのである。

第三には、子供が勉強しなくなった。全体的な水準は、どんどん落ちてきている。
小学5年6年の2年間、小学校でそこそこの授業を受けていれば、6年生後半の6か月の受験準備で、ほとんどの難関中学は受かる。
志望校を決めたら、半年間、過去の入試問題や、教科の内容を簡潔にまとめた問題集等で、集中的に学習すればいい。

さほど勉強もせず、塾にいる時間だけがやたら長いような子が、競争相手である。公立小学校で、子供の本気を出させるように指導すれば、学習塾など行かせなくても、受かる。
しかしながら、多くの場合、学校だけの勉強では、ダメで、塾に行かなければならない。その理由はおわかりだろう。

公立の小学校の授業は、ほとんど「勉強」をさせない。無駄としか言いようのない時間つぶしを平気でする。子供の足を引っぱるのである。子供の知識欲を阻害し、勉強の邪魔をする。

運よく、学習熱心な「当たり教員」のクラスに入れるか、そうでなければ学習塾に通いつめるか、もともとの秀才以外は、どちらかの道を選ぶしかない。

 

家庭の方針次第で、簡単に受かるからこそ、「ひょっとしてうちの子も」と、多くの親が、子供を受験させる。その結果、受験生がどんどん増える。学習塾は、お客さん万来で笑いが止まらない。

その程度の受験生が多く受けたところで、全体的な受験生のレベルが上がっているわけでは、もちろんない。だからこそ、少しできる子供が、優秀な担任教員と出会い、加えて塾で準備していれば、なーんだ、という感じで、受かってしまう。

 

苛烈な受験競争だとか、超難関校だとかの、大仰な表現は、マスコミの流す大嘘である。
実際は、基本の学習内容を習得済みならば、誰でも行けるというのが、名門中学なのである。


付記
それでも、私の子供は落ちてしまった、これはどういうわけだ、という人もいるだろう。
それは運である。
我が子はがんばった。それで十分ではないか。誉めてやれ。
所詮、入学試験は、一種のゲームである。ゲームは勝つこともあれば、負けることもある。勝てば喜んで、負ければ笑ってすませればいいのである。真剣に勉強したとするならば、決して無駄にはならない。財産になる。
とすれば、入学試験は、教育訓練のみならず人生経験の場となりえたのだ。月謝や受験料は、塾や私立学校に、笑って、くれてやればいいだろう。

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上は、以前書いた記事である。

私立学校の人気は、今のところ、都会では、国公立に勝っているようだが、教員の質や設備その他の差で、やがて国公立に飲み込まれるのではないか。

各県の中高一貫の公立実験校も、実績を積んできて、有名私立の優位性を脅かしている。

受験生の意識が、私立から国公立へ向かってきた。もともと優秀な子が、国大付属学校や公立中高一貫校を第一志望にすると、私立は赤字になる。

バブル期のような散財を、今の親はしない。私立の月謝が安くなったとはいえ、やはり国公立の方が安い。どちらを選ぶかといえば、明らかだろう。

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と以上まで書いて、数年たった。今はどうだろう。「有名」私立中高は潰れる気配はない。中堅以下は、やがて消えるだろう。

半年の準備と書いたが、聞き及ぶところによれば、もっと少ない準備期間で受かった子が多い。とはいえ、中高一貫校も、山ほどあって玉石混交である。目標校と、受験者との、レベルに応じて、と言うしかない。

 

筑駒は別格だというが、同じことで、受かるには、塾漬けでなければならない。それに加えて、特殊な才能が必要だ。塾漬けなのは、全国の小学生に山ほどいる。その中を抜きんでて、合格するためには、塾や解答技術の頓智だけでは、全然足りない。子供本人の自主的な「何か」がなければ、絶対に無理である。

 

それにしても、相手は子供である。子供ではあるが、近い大人に「よき大人」がいれば、道は開きやすい。

言わんとすることがわかるか?

左様、小学高学年の担任次第である。または、塾講師次第である。

良き担任に出会える確率は盲亀浮木である。よき塾講師は、金で買える。〇緑や〇ピその他の塾に潜り込んで面倒見てもらえ。

これらの事々は、すでにあなたが知っている通りである。