ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

私立の中学高校への進学は、いかがなものか。教員のレベル、競争力の不足が。

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私立中学高校への受験を考えている人や、特にその保護者には、苦い話をする。


「私立中学高校」(以下私立校と書く)への進学は、考え物である。
もっとも、「国公立の中高」(以下公立校と書く)が大嫌いで、なにがなんでも私立校に行きたい、入れたい、というのなら、勝手である。


どうせ私立校に入るのなら、超一流と言われている学校に限る。
いったい何が「超一流」なんだかよくわからないだろうから、とりあえずは、当該年度卒業生数に対する東大京大の合格者数の比率が高いところ、ということでいいだろう。
とはいえ、東大京大の進学率の点でも、公立校のほうが優位に立っている。

何度でも言うが、私立校に行かせるのなら、超一流校に限る。
並か並以下でもいいから、ともかく私立校に行かせたい場合は、公立校に受け入れてもらえない特殊の事情のある場合で、それはそれで、見合った私立校が存在はする。


一流校と呼ばれる私立校は、どのくらいあるのだろうか。
簡単に言ってしまえば、各県に一つはある、と仮定したい。
どうしても私立校がいい、だから越県してでも通わせる、または下宿や寮に入れさせる云々、は酷である。そこまでする価値はない(と思う、と言っておく)。
だから上記の進学率が低くても、各県に最低一つは、名目上に過ぎないにしても、一流私立校を認定するしかない。


中途半歩な私立中高が、なぜ無駄なのかを以下に述べる。
しかしながら、世の中には気分というものがある。保護者の思い入れ、思い込み、勘違い、憧憬の類がある。これは、仕方がないので、勝手にしてくれ。


私立校の最大の弱点は教員のレベルにある。
すなわち、私立校教員は、規模の小さな私企業に勤める雇われ人である。しかも、勤め先たるや、経営が不透明で、馘首の恐れや、倒産の恐れもある。したがって、教員自身の気分が安定せず、自己肯定感が薄い。
公立校からの転属組も多い。こういう連中と根っからの私立校しか経験していない教員との軋轢もある。公立校定年退職者の第二の就職先でもある。
ともかく、教員の素性がぐちゃぐちゃで、校舎をどれほどきんぴかにしても、教員のプライドは低い、低すぎる。

というのも、私立校の教壇経験しかない教員は、劣等感がある。
それは私立校の教員採用事情にあるわけだが、この辺りの詳細は避けたい。以下を読んで、想像してくれ。

公立校教員は一応、正規の試験を受け、合格して採用されている。相次ぐ転勤で場数を踏んでいる。公立ゆえに勤務先の倒産不安がないから、人にもよるが、中には教育に全力を傾けることが可能な人もいるだろう。

私学は、私学教員適性検査と称するテストを受けることになってはいるが、その得点によって、当該私立校が採用するかどうかは、私学経営者の判断による。つまり不透明な情実採用が可能である。別名、縁故採用、雰囲気採用と言う。
こんなことができるのは、私企業であるからで、美人学生をどうでも採用してしまう某職種と同様である。


教員のほとんどを、東大京大卒で固めている一流私立校もある。この場合、当該校の教員のプライドは保たれている。

とはいえ、教員の余計なプライドなんかはどうでもいいことで、生徒にとっての最大のメリットは、東大が身近に感じられて、アノ教員でも合格したのだから、俺なら軽いな、と思えることにある。その子が、必ず合格するかは未定ではあるが。


教員の問題以外には、私立校の短所は、生徒が同質性があるということである。これは長所のようだが、そうでもない。中途半歩な連中が多く、傑出した才能が見当たらない(ことが多い、と言っておく)。
もっとも、親にしてみれば、似たような生活環境や学習能力の子供が多いということは、ある種の安心感を持てるのだろう。
変わり者は嫌だからね。うちの子は普通に育ってほしいの。


話を変える。
先年、某講演会の後の、立食パーティで、講演者の某女性Aと、某女性教員Bとの会話。
B「いいお話でした。母校の高校でも、お話しされるといいですね。どちらの高校のご出身?」
A「女子学院です」
B「は? 何女子学院?」
A「すみません。ただの女子学院です」

以上で、ピンとくる人向けの話なので、意味不明の人はそれでいい。

というわけにも、いかないだろうから、説明する。
東京では女子学院というだけで、桜陰雙葉と並んで女子御三家と呼ばれる「一流私立校」であることを、大概の人は知っているだろう、という思い込みがある。
しかし、それは関東での話。少し離れれば、○○女学院、○▽女子学院などが、多く存在するので、Bの発言となったのだろう。

事程左様に、私立校出身の有名無名のプライドなんて、たかが知れている。むろん、公立校も同じことである。

知友学友や真っ当な恩師を得ることができるのならば、どこでもいいのである。無理をしてまで、欠伸の出る授業を受けるには及ばない。