ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

体育授業中に、マスク着用の小学生死亡。忘れ物で授業拒否。コロナ騒動の不始末の類。

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阪高槻市の小学生が、今年2月、マスクをつけたまま持久走をして、その結果死亡した、という。

まず、マスコミの一部が、どうして今頃、報道したのかが、よくわからない。古い話を蒸し返してどうする。何かのはずみで初めて知ったのなら、不明を恥じて反省しろ。隠しておいて、ようやく発表許可が出たのなら、やはり犬である。わんと吠えて、骨を喰らえ。

 

事実関係が雑な報道なので、断定はできないが、マスクをして走ったことによる呼吸困難が原因と推測できる。
スーパーに入る時に、お付き合いでマスクをするが、それだけでも息苦しい、店を出た瞬間にマスクを投げ捨てて、叫びたいくらいである。
子供がマスクをして過ごすことの不健康ぶりは、言うまでもない。

役人根性というものがある。教員根性というものがある。上からのご通達を遵守順守して、またはそのふりをして、保身に走るアレである。

おりからのコロナ騒動真っ只中である。マスクをしていろ、忘れるんじゃないぞ、と、教員は子供に強く指導をしたはずである。
ならば、体育授業中は、マスクを外せ、とはっきりと指示しなければならない。
明確な指導をせずに、マスクをつけたまま、走らせたのだから、教員及び学校長、並びに教育委員会指導主事らの、過失致死罪が該当する。または故意殺である。

これを大袈裟と思うのは、貴君の勝手である。

 

学校、特に義務教育期の学校関係者のリスク管理が曖昧に過ぎる。

リスク管理は、その多くが管理者側に向けた概念だが、管理される側も、無恥で、無知無責任な連中に殺されないように、自ら防衛をしなくてはならない。

子供にそれを求めるのは酷というものだが、諸君は、2014年4月のセウォル号沈没事件を、忘れてはいないだろうな。高校生ですら、船内放送を守って、殺されてしまうのである。
日本の小学生が、教員の指示を鵜呑みにするのも、無理はないことだ。

子供に、指示・指導をする教員は、よほどの慎重さが求められる。

 

しかし、なおも問題は残る。
教育は本来危険なもので、それが怖いのなら、自宅に籠って深呼吸をしているしかない。外に出ること、集団で行動すること、誰かの指示を守ること、それらはみな、ある程度の危険性がある。
健康のためのスポーツをしたつもりでも、運動が原因の怪我病気死亡等がある。


だから、責任の所在云々を避けたいのなら、相当因果関係のあるなしを問題とせよ。その程合いを見極めて、指導なり助言なりをすればいい。

 

それはともかく、間抜けなYHOOニュースの記事は、誰が探してくるのかはしらないが、紅白帽子を忘れた児童に体育を見学させた云々。

当然である。何が当然かといえば、あのような指導は日本全国津々浦々の小中学校で、もう百年も前から指導されていた。忘れたら、何々させないというのは、これは常識である。
何々を忘れたら、こうしろ、というのは滅多にない。
作為を強いるのは犯罪だが、不作為はそうでない。

とまあ、こういう風に学校や教員側が考えるのはごく自然のことである。

指導は人間がする。医者は人間である。医者が患者を殺すこと、日常茶飯事だ。と言ったら仰天するだろうが、なに、内心では誰でもが知っている。逆にあの医者で助かった、ということがある。ならば教員も一緒で、塵芥玉石混交、何事もご同様。