ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

大学生の就職事情、今は昔。才能は別格。凡人は教職を目指せ、と言う人もいる。

 

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以前のお話。

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以下は、某企業の知人から聞いた話である。

そこそこ名の知れた大学を出れば、まあまあの就職先が見つかるなんてことは、昔はどうだか知らないが、今はない。
エクセルやワードの検定1級所持は当然で、パソコンでゲームばかりやっていたのか、と面接で詰問される。
英語は、検定1級、TOEFLのPBT600点以上、CBT250点以上、TOEICで900点以上が必要。海外旅行で片言がしゃべれる、では笑い話になる。

以上がクリアできて、どうやら就職できたとしようか。
もっと厳しい現実が待っている。
給料に見合った成果を挙げることができなければ、それは会社に損をさせている。すぐに「出て行ってくれ」となる。

損をさせても、今までは、それでよかった。
10人社員がいれば、そのうちのひとりが仕事をしただけで、十分潤った。残る9人のうち、7人は、いてもいなくても関係ない人たちで、2人は、むしろ仕事の邪魔をする人である、できればいない方がいい。それでも10人全員に等しく高給をくれてやった。


なるほど、呑気なものである。
学校も同じことである。
一部の小学校、高校及び中学校の半分くらい、大学のほとんどは、似たような状況である。詳しく言うと、いかにも差し障りがあるから、止す。察してくれ。
表向きの「平等主義」が、すべてのレベルを引き下げてしまう。児童生徒学生教員の、短い足を引っ張っているのである。

さて、どこもかしこも仕事がない。何でもよければあるにはあるが、ブラックの類である。
俗にいう安定した職業は、大企業や各種特殊法人はともかくとして、一般に手近なところでは公務員か教員である。
しかし、運良く、教員に採用されても、それからも、苦労が続く。
若い連中が、教員志願だというと、遊び半分なら止めておけ、と返すしかない。
特に、女性は、小中学校の教員になった場合、いずれまたはすぐに、大泣きすること必定である。あんまり泣かれると、児童生徒が迷惑だ。頼むから止めておけ。

というようなことを書くと、何だって、と目くじらたてる人がいるだろう。まあ、この程度のアドバイスで気が迷うなら、最初から止めておいた方が、邦家のためである。

中には、教員が第一志望だと口走る者がある。しかし、表向きの熱意はともかく、教員として妥当な素材かどうかは、分からない。
一番困るのは、勘違いしている連中で、自分の実力不足を棚に上げて、どうでもこうでも教員になる、といってきかない。こういうのは、親が教員であることが多い。唆されたのだろう。
困ったな。君の実力で、大丈夫なのか。ペーパー試験は、コネがきかないというのが、一応の建前だ。受かるわけがない。

万が一、何かの間違いで、ペーパーは受かったとしようか。次の面接試験はどうする。あれは情実の世界である。コネがないために、不採用だったと推測できる者が、何人もいる。それでもいいのか(親が教員なら、大人の事情で、そこは、と言っておこうか)。
ここまで言うと、たいがい黙る。 
中には、コネがあります、とか平気で言ってくるものもいるが、本当か。

どうしても、というならやれ。どちらに転んでも苦労することには、変わりはないだろう。


以上を書いて、かなりの年月が経った。今では、事情が全然違う。

まず、教員採用の状況だが、考えられないほど合格させている。
小学校は楽勝。中学も美術音楽など、採用が少ない科目以外は、そこそこの学力があれば受かる。
いくらなんでも、猫も杓子も採用しているわけではないだろうが、大手企業や公務員試験に比べると、はるかに簡単である。
民間会社にエントリーシートを何百枚も送りつけるよりも、教員免許を取って、さっさと教員になる、というのも、人によっては、得策である。
教員の待遇や収入の安定度、知的興奮と何が起こるかわからない危うさなど、教職の利点は事欠かないが、何より良いところは、高い才能がなくても、ごく普通の能力の持ち主でも、ちゃんと小中高大学の教員に、なりえることである。
無理もない。都道府県自治体ごとに、うんざりするほど多くの学校がある。人の住むところ、大きな建物を探せば、それは学校である。そこに、教員がどれほど蠢いているのかと思うと、ぞっとするほどである。

それにしても、現役の大学生にとって、ひところに比べると、就職が楽になった。ますます楽になりつつある。
もちろん、勤め先は様々である。学生本人が夢に見るような職場は滅多にないし、不勉強で才能もない連中が、勝手なことを言うのは噴飯ものである。しかし、これはだれもが通ってきた道だろう。

 

蛇足ながら、知人の言。
某銀行の採用数がこの数年増え続けている。どうやら、多人数を入社させて、無理難題を押し付けて、短期間で振るい落とす魂胆らしい。

真偽のほどは、知らない。

 

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コロナ騒動が収まらない。今度はワクチン話題でいっぱいである。

いずれ収まるところに収まるだろうとは、常套の句だが、それにしても長い。ウンザリである。

 

繰り返すが、教員のレベルが、年々、急降下で落ちている。

よくもまあ、というような学識・技術でも、教員が務まるのは、子供もスマホ育ちで、それなりだからである。世間がコロナに夢中で、他を顧みる余裕がないからである。よかったなあ。