ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

オリンピックとブタ・オリンピッグ。太った芸人と世間。

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旅人突如来りて、嘆いて曰く。
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コロナごっこが、止まらない止まらせない。
コロナ宣伝を長引かせて誰が得をするのだろうと怪訝だが、なーに得をする者どもが、うじゃうじゃいるのである。

君は、コロナ患者または、それらしき人を、実際に見たことがあるか?
コロナで瀕死の重傷者を、見たことがあるか?

あれは老衰である、持病の昂進である、偶然の病である。何がコロナなものか。

にもかかわらず、利を得るために、ウイルスごっこは永遠に続くだろう。マスコミとコロナビジネスとは、壮大な猿芝居を、観客がいなくなるまで、永遠に続けるだろう。

それはさておく。
オリンピックである。どうやら政府筋及び利得団体は、やりたいのである、やらせたいのである、やり抜くのである。
さあ、マスコミ連合と企業連携の日本政府は、どのように、オリンピックを演出する気だろう。

演出といえば、先日、渡辺直美某とかいう、「格別に太った体型」が売り物であるらしい芸人が、オリンピック関連の宣伝媒体で話題になったらしい。
詳しいことは知らないし、知る必要もないが、芸といえるほどの芸もない「芸人もどき」は、容姿容貌がすべてであって、それ以外の何モノでもない。

太い体型で使える場面があるのなら、「ブタ」でも何でも、喜んでやらせてもらうのが芸人である。

 

役者のくせに勝手に太る、と古人は語ったが、言いえて妙で、役者たるもの、粋ですっきりしゃんと美しくなければならない。
見苦しく太っているのは、論外である。そもそも人様の前で、見てなんぼ見せてなんぼの芸人が、暑苦しく太いことは、失礼である。
つまりは、芸人は、よほど特殊な役柄を除いては、「デブ」と称されるほど太っていては、絶対にダメなのである。

自分の容姿容貌を、自分で自信を持ち、愛するのは自由であるし、それしかない。
しかし、容姿容貌だけが持ち札であるような芸人には、それは奇妙なことで、むしろ恥じなければならない。

外形が美であって、花があり、それで初めて、一人前の芸人である。その美は、お客様が決めるのであって、芸人自身ではない。
太っていることを、逆手にとって芸だと思うのは、当人の勝手だが、不幸なことである。

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とまあ、大要、以上のような話をしていたが、さてどんなものか。

美は、特に人体の美は、万国共通、時代不変のものがある。それが何であるかは特に述べなくても、あなたもお分かりだろう。
だから、美は貴重であるし、美に憧れるのである。
そのために、女性のほとんどは、ダイエットをし、無駄と知りつつ高価な化粧品を買い続けるのである。

これを見ても、美の典型がいかなるものかは、お分かりだろう。あえて論ずるまでもないことである。

 

過日、十代のテニスの試合を観戦していた大会顧問の紳士いわく、「ほっそりとしてホントキレイだね、この年代は」。

思わず声に出してしまったので、その不穏当らしいことに気づいて、あわてて周りを見渡した。

むろん、テントの中の連中は、聞こえぬふりをしていたが、皆さん同じ思いだったことだろう。