ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

鋳型にはめ込む小学校教育。東京大学は小役人養成所。吉田茂の対米隷属に感謝する。

 

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人は、生きて食を得るには、自分で何事かを為すか、他人の家来になって給料をもらうかせねばならない。
学校教育は、後者に偏る風がある。誰かに使われる人間を作るのである。

その典型が、皆さんお好きな東京大学卒業生で、使役するには、これほど都合のよい連中はいない。

某知人は激しく東大を軽蔑している。
理由の一例は、戦後だけでも、丸山眞男宮沢俊義横田喜三郎等の時局便乗主義者、左翼反日主義者を多く出してきたからで、さもなくば私利私欲に群がる政治屋新聞屋官吏等を生産してきたからである。
ここに東大を出したのは、戦後教育の一例として挙げたに過ぎず、他の学校も大同小異である。

悪弊は小学校に入学したときから始まる。
鋳型にあてはめて、自由な発想を禁じるくせに、日本古来の伝統文化を尊重することもしない。どっちつかずの根無し草で、大人の顔色と、級友の空気を読むだけの子供を大量生産する。
決まった時間内に、あてがわれた課題を、要領よく解いて、答えを暗記すれば、「できる子供」というレッテルを付けて、一丁あがりとなる。
こんな馬鹿なことを続けてきたし、続けているし、これからもやっていくのだろう。政財界以下、人材不足なのも、当然である。

しかし、お粗末教育の成れの果てなのに、理工系技術職他に、若く優秀な人材が少なからず育っているのを見ると、日本人の地頭というか、優秀さは、誇っていいのだろう。
地震飢饉疫癘は、あまねく天下にいきなり現出する。国土が破壊されて、ディアスポラになったとき、日本人は生き残っていけるのだろうか。そうなったとき、何かが、始まるのだろうか。


某知人の話を続けると。
日本外交の最大の特徴である「対米追従路線」を決定付けて、日本国に災いをもたらしたのは吉田茂である。
その吉田の胸像が、外務省飯倉公館玄関に堂々と飾ってあるのも皮肉である。
対米追従に感謝。これまで同様、今もこれからも、アメリカ様にお仕え申し上げる」という、日本国外務省一同の宣言でもあるのだろう。

少しばかり知恵のある米国人なら、日本政府や外務省や日本国民が吉田茂を糾弾しないことに、不思議の念と軽蔑の笑みとを持つのではないか。やっぱり日本人は、生まれながらの奴隷だな、と安心するのではないか。

知人は言う。
地政学上、日本は地球の臍にある。孤立を守ることが、国民の繁栄を約束する。安易に他国に媚びを売らないことだ。
どうせ、孤立が日本の宿命である。古代より、島国日本は中の人である。天からの賜物であり、日本民族の幸福の源である。
他国はすべて敵である。裏を返せば、どの国とも、友達である。付かず離れず、対等外交が可能であるし、そうでなければならない。
中国、朝鮮、アメリカ、ロシアその他の国々は、すべて等しく、日本の敵であり味方である。その覚悟があるのだろうか。
日本に問うているのではない、他国に問うている。
日本が孤立を維持すると、何より困るのは、諸外国であるからだ。」云々。

しかし、私はこんなことを思っていた。
雨なのに、傘がないのである。店先に置いた傘がない。