ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

NHK等マスコミ関係者の自己欺瞞、軽率、無教養、無定見、傲慢無礼の原因は、学校教育にあるのか?

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

常々疑問に思うことがある。
日本のマスコミ関係者の、度を越した無教養、意気地なし、無節操、無定見、傲慢無礼、恥知らずは、いったい、どこから出てきたのだろう。

私たちは、ネットなどの媒体を通して、他国のマスコミ情報を見ることができる。
公開情報には、真実が少ない、虚偽がある、操作されている、と知人は言う。その通りである。しかし、すべての公開情報が、嘘っぱちではない。
そんなことは不可能である。逆に、公開情報は、事実であることが多い、と仮定するほうが、「事実」にかなっているのではないか。


さて、そんな公開情報は、いわゆるマスコミ人を通じて、マスコミ媒体に出る。
だから、私たちは、世界中の、マスコミ人の仕事ぶりと成果とを、
お約束の虚偽や誘導が含まれているにしても、目にすることができる。
彼らの応答、単語選択、顔、声調子、構成、実績のようなものですら、各家庭で、各種情報機器、書籍雑誌の類から判断できる。そして、ある種の利益のようなものを、得ることができる。

しかし、しかしである。
諸外国に比べて、日本のマスコミ人の、判断力や情報収集力や知性の不足、そのあまりの能天気、遊び半分、お調子者、不勉強、不誠実、いい加減、阿呆さ、痴呆顔、意味のないプライドと傲慢、高給を得て楽チン仕事で充満した雰囲気、それらを、否が応でも、日々常に実感しなければならない。

これはいったい、どういうことなのだろう。

一例を示せば、外国人の特定分野の専門家に、日本人の「マスコミ人」が対応したとしようか。
ここに書くのも、くだくだしく、また恥ずかしい。

かかる輩どもの不勉強無教養ぶりに驚かない外国人はいないだろう。

一応、外交辞令で、受け答えのようなものはする。取材らしきものを終えて、双方、にっこり笑って別れる。
取材、収録の成功のように、日本のマスコミ人は思う。それはそうだろう。自らの痴態醜態に、自分では気づかないものだ。愚か者の常である。

しかし、しかしである。当該外国人の脳に、日本マスコミ人への侮蔑は永遠に刻まれるだろう。
日本のすべてのマスコミ関係者は、薄笑いするだけのサルである。不勉強で、不見識、ジャーナリズムの何であるかの、その千分の一歩にも達していない馬鹿で間抜けなことに、呆れるどころか、もはや怒りすら覚えるであろう。

だから、日本人は、永遠に、外国ジャーナリズムから馬鹿にされる。アメリカ人にすら馬鹿にされる。英国は言うに及ばず、イスラエル、フランス、ドイツ、ロシア、シナ人その他、種々の国家国民から、日本人は馬鹿にされ続ける。
日本のマスコミ人の駄目さ加減が、日本人全体の評価になってしまうのである。

さて、教育批評の中身はこれからである。
かくなるマスコミ人をつくりあげた責任の大半は、日本の学校教育である。
小中高大学の類の、すべてに罪がある。中でも、もっとも重罪は、初等教育ではないか。たぶんそうだろう、そうに違いない。
理由は書かない、書きたくない。
各々、自分で考えてくれ。多分、答えが出るだろう。