旅人来りて、言うには。
自分の頭で問いを発し、答えを予測し、検証することは、日本人の不得意とするところである。ならば、教育の眼目は、そこに置かれるべきで、初等の小学校の折から、腹を据えてかからなければならない。
他人の言うことを丸のみにして、深く考えることもせず、大さわぎして囃し立て、挙句に、マスコミの誘導に簡単にひっかかる。誘導とすら感じていない。NHKの言うことが、自分の頭の中身なのである。それを知ってか、NHKは、反日で反皇室で国民侮蔑のくせに、大きな顔で、いまだに、堂々とのさばっている。
NHKの職員の人種構成は、いまだに明らかではない。収入歳出の仔細が不明である。どうせ、どんぶり勘定の独占企業である。内部が腐りきった極楽とんぼである。なのに、日本人は、初恋のNHKが大好きなのである。
NHKはほんの一例で、テレビ新聞マスコミの考えが、即、日本国民の、あなた自身の考えである。
疑わない。疑わないのである。情報の発信が、同じ日本人同士だろうとの安心感があるとしたら、お門違いである。
「日本放送協会」のいったいどこが、日本人だろう。あれは外国の傀儡である。または暴利をむさぼる裏切者である。
新聞紙のどこが日本国民だろう。あれは利のみを狙う言論商売である。金の匂いの風向き次第で、どこにでも吹き飛ぶ。
教育は、独立自尊を持って芯となす。その気概はどこから来るか。日本の伝統文化の継承以外にはない。これを考えても、小学校から英語を教科にするなどは、すでに亡国の方針で、自ら喜んで滅ぶつもりなのだろう。
話は代わって、新校舎建設中の大学である。
日本の大学は、すでに終わっている。
大学に行かずに、就職する人や、専門系の学校を選ぶ人が増えた。それもそのはずで、日本の大学は、世界最低と断定できないまでも、果てしなく、それに近い。原因は、大学の粗製乱造にある。教員の人材不足にある。
優れた教員など、めったにいない。なのに、大学が増えれば、教員も員数揃えのために、でっち上げなければならない。
諸大学のほとんどの教員は、でっちあげた教員で、コネで就職し、立場のみで給金を得ている。
いわゆるタレント教員は、ハウツーものの「語りおろし」本を乱発したり、講演会と称する漫談をしたりで、アルバイトに余念がない。テレビのクイズ番組もどきに出て、出演料を稼ぐ。勤務先の大学は知ってか知らでか、大学の宣伝になればすべてよし、の構えである。
タレント教員とはいえ、大学教授の肩書がある。あれしきの大学でも、一応、大学である。教授とやらの妙な特権意識で、恣意的な発言を繰り返す。害悪を撒き散らす。教員の最低限の仕事をろくにしなくても、「馬鹿な大衆相手」であるから、本人はご満悦である。
日本の大学は、終わっている。かといって、我が子を、わざわざ遠い外国の大学まで行かせることができるだろうか。
それが、行かせるのである。子供も行くのである。
親の苦労を思うと、涙を禁じえない。
既に述べたと思うが、何度でもいう。教育はハイリスク・ローリターンの典型で、特に日本の大学は、全然、投資に見合っていない。
大学が潰れるのを待っていてもだめである。どうせ、税金で今以上に填補するだろう。あれは商売である。議員も役所も企業もグルの、ビッグビジネスとやらである。
「大学を潰せ、今の十分の一でも多すぎる。NHKを潰せ、民間放送で競争させろ」無駄と知りつつ、声高に叫ぶのである。