ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

小学校教員が本当の先生。大学教員は穀潰し。東京大学は残念すぎる学校。

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わたしは大学教員を毛嫌いしているようだが、大学教員すべてが無能だと言っているわけでは、もちろんない。
ごくごくまれにだが、大学にも有能な教員がいるだろうし、すべての大学が不要だ、とは思わない。
ある種の「大学」は、残るだろう。

教員は、小学校で一番仕事をしている。次に中学校、そして高等学校の教員が、仕事らしきことをしている。そうせざるを得ないから、給料分またはそれ以上以下の、仕事をする。

しかし、大学教員は、「仕事」をしなくても、十分に食っていける待遇にある。それを「いかがなものか」「けしからん」と言っているのである。

人は誰でも、安易につく。責めてはいけない。あなたも私もそうである。議員どもを見るといい。有象無象の職業を見るといい。

小学校では、教員が働き者である理由は、相手は鼻垂れ小僧である。親の目も厳しい。世間も小学校教員を、特別扱いにしない。真面目に働かざるを得ない。

中学校教員は、不良の出来損ないみたいな子を扱う。これまた、ご苦労で、教員への親の目は、多少甘くはなるものの、その分だけ、生徒が難しい。女性教員には大変な仕事である。

高校教員は小中学校に比べると、楽勝である。それでもまだ教員らしい仕事の、いくつかはしなければならない。中には、先生らしい者もいる。

大学教員は、書くのも憚られるくらい「でたらめ」が横行している。あれは職業ではない。「先生」では、もちろんない。暇人であり、売名であり、思い付きであり、仲間内の談合であり、寄合であり、独りよがりであり、つぶやきであり、傲慢であり、害虫のような連中である。

しかし、ごくまれに、教えることも「研究」も、それなりの教員もいるかもしれない。まっとうな教員のいる大学は、滅多にない。ほとんどは、即刻潰してかまわない大学ばかりである。

これ以上は無駄だから、言わないが、わたしが小学校教員を、先生として認めること多く、大学の教員を唾棄するほどに嫌うのは、このような理由からである。

 

さて、大学では東京大学が「人気」がある。


東京大学は、残念な大学である。
今どき、東大を「最高学府」などと考えている人はいないだろうが、昔は、大学が少なかったから、田舎から東大を目指す人が多かった。
たくさんの学生を抱えていれば、中には、まれに優秀な人材もある。

過日、某大手新聞社の男と話していて、社風を厳しく論難したら、いいえ、社にもいろいろな人がいるから、などと口答をする。

組織が大きければ、様々な考えの人がいるのは当然である。しかし、紙面に出る記事は、デスクの判断で決まる。デスクの思考が、偏向している事実には変わりがない。

大学も同じことで、東大にも、まともな人がいるよ、では通用しない。
金を一番ぶんどっておきながら、反日で、偏向教育を進める教員が多い。


東大は税金を食いすぎである。予算に見合った業績はないくせに、国家の独立や興隆を嫌がって、国益を損なうことには、とりわけ熱心だ。時流に乗って、マスコミにも、他国にも、すり寄る傾向がある。
まったくもって、トンでもない連中である。

東京大学を、解体処分することを提言する。暇人の巣窟であることの他、以下の解体理由も加えよう。
「老朽化による競争力低下の予想と保有資産の活用再検討の必要性を理由に営業終了」(旧 赤坂プリンスホテル

ついでに言うなら、NHKと称する独占企業も怪しすぎる。あれは、ご都合主義の反日組織である、あるいは諸外国の指示通り動く扇動組織である。時の政権にゴマをする保身集団である。そのくせ日本国民を侮蔑する。
理由は、すでにご承知だろうから書かない。