
小中学校の水泳授業は中止がよろしい。
某教員たちの談話で以下の結論が出た。まことに賛成である。
小中学校での水泳指導ほど、むなしく無駄無理無策で、唾棄すべきことはない。
小中学校での水泳授業を廃止し、プールを廃棄し、施設費用ともに、他の用途に充てるべきである。
さて、義務教育期における、水泳授業の功罪は何だろうか。罪しか記憶にない。たとえば、授業中の児童生徒の死亡及びケガである。怪我といっても、治癒の難しい重症患者となる確率が高い。
人は悪とは知っていても、自分からは言い出せないものである。
子供も大人も、児童生徒、教員、保護者、誰一人、学校での水泳授業が望ましいと考えた人はいない。いるとすれば、それは趣味である。
にもかかわらず、現在「あるもの」「行われていること」を、止めることは、日本では恥であり、体面が悪を上回る。嫌なことだが、それがあなたであり、私である。なによりも、役所であり「議員様」たちである。
資源財力時間すべてにおいて、水泳授業は無駄であり、最低最悪危険至極のものであった。
ここまで言えば、わかる人には瞬時にわかって、わからない人や、わかりたくない人には、言っても無駄である。
近頃、熱中症や、プール施設の老朽化とで、学校での「水泳指導」に否定的な流れが出てきた。遅きに失したとはいえ、まことに喜ばしい。
いったいぜんたい、学校で水泳を教えるなんて、どこの夢想屋が考え出したのだろうか。年間カリキュラムで、週一回は行う(室内の温水プールでシャワー脱衣所、空調、体調管理、応急施設等が万全として)ならまだしも、屋外で冷水シャワー、コケだらけのコンクリ設備で、夏の一時期だけ、とってつけたように、水泳指導だそうな。笑わせる。あれは、日本教育のお粗末至極、お涙予算で格好だけをつけようとしてきた日本政治の本質の露呈の証左、恥さらしであった。
どうせ無理なことである。最初から止(よ)しておけばいいものを、無知無策、ごまかしだけはお得意の日本行政の金字塔。それが、義務教育学校での「水泳授業」である。
現在、行政が、せめてできることは、小中学校から、お粗末至極のコンクリプールを、大至急、廃絶することである。小中学校から水泳指導を削除することである。