
某人曰く。
スマホ。携帯。SNS。歩きながらでもピコピコしながら見ているアレである。
スマホが出てから、文章がだめになり、読書時間が減った。不安障害、神経症、精神病者が増えた。
乱暴なようだが、本音では、あなたも賛成だろう。思い当たる節が誰にもあるはずだ。
ワープロが出て、パソコンが出て、ついには移動PC(スマホ)が出て、読解力と作文力が、どんどん劣化したことは、前にも書いた。
文章がダメになるだけなら、まだしも、精神まで脆弱になってきたのである。
YouTubeの利点は、音楽をダウンロードして聴くか、DIYのヒントか、せいぜいのところ、その程度のもので、それ以上を望む、または頼るのは、ほとんど信仰である。
守銭奴の塊である動画配信者は、視聴者を、購入者としてしか見ていない。荒唐無稽短絡思考、他人のコピーを持論のように先を争ってアップする。早い者勝ちの言いたい放題、出たとこ勝負、似たような口調、顔だし、キャッチコピーの数々。
動画は時間を奪う。あんなものに時間をつぶすのは、無駄というより悪である。動画の合間に無遠慮に出てくるムサクルシイ宣伝の多さには辟易するというより、怒りすら感じる。
動画配信は、最大の悪である。それを含めて、SNSと称する、言葉や画像や動画のやり取りは、確実に、精神病者を増やす等、云々。
以上は極端だが、デジタルの日常への浸食が、人の精神生活に悪影響を及ぼしていることは、間違いないと思う。
スマホは最大の悪である。今すぐ、ドブ川に放擲するがよろしい。
とはいえ、仕事柄使用することも多いだろう。衆寡敵せず、スマホなしでは業務が滞る場合もあるだろう。それはそれ、これはこれである。
仕事の道具なら、汚れたスコップと同じである。穴を掘る必要のない時は、倉庫に投げ入れておけばよい。四六時中、後生大事とばかり、「携帯」するのは、毒を点滴し、爆薬を背負うのと同じである。
デジタル生活の利便性なんて、世間が言うほど、または、あなたが信じているほど、大したものではない。現に、スマホが出るまでも、人類は、普通に平気で暮らしていた。
スマホは、悪の悪たるものである。理由はいちいち述べなくても、何よりもあなた自身が、よくご存じだろう。