ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

筑駒文化祭とテニスの伊藤あおい

 

昔からそうだったろうが、シニア世代はテニス好きが多い。そしてご婦人達もテニスを習う人が多い。

テニス仲間の中で、「伊藤あおい」というプロテニス選手の名がちらちら出る。
試合を見ると、自由闊達で、個性的というか、面白いのである。面白いだけなら、プロとは言えないだろうが、連戦連勝の勢いで、日本ランキング3位である。来る2025年は、世界4大大会に出るようである。

 

全国津々浦々に、テニススクールがあって、そこで習っている人は多い。あおい選手のプレーは、素人の模範となるだろうか。

 

私は、テニス歴が長い。プロテニスを見ることは見るが、かけ離れていて参考にならない。

テニス経験のある人なら、伊藤あおいのプレースタイルが、風変わりで、よく言えば、洗練されているかが、わかるだろう。

体力腕力気力努力、を前面に出すのではなく、素人にとっては、運動行為の多様性が、テニスの楽しさである。

 

ところで、本題だが、プロのコーチや学校体育教員は、伊藤あおいを認めたがらないのである。理由はお分かりだろう。自分たちの出番がなくなるからだ。一見自由なプレーをする伊藤あおいが、本音では、憎いのである。感性と自信と頭脳とで、テニスをされてしまっては、困るのである。

その一方で、自分流のスタイル(もちろんこれこそがアマチュアの醍醐味である)で、楽しみながら試合をする人にとっては、伊藤あおいのプレーは、愉快である。応援せざるを得ない。

 

コートは、無理して走らなくていいのである。球が来ないうちは歩けば十分である。力いっぱい振り回すのは美しくない。軽く当てればラケットが飛ばしてくれる。唸り声を発して強打するのは下品である。時々笑みを浮かべてプレーすればいいのである、、、とまでは、言わぬが、自分流に頭脳を使って、それで勝てれば、万々歳である。

 

テニスのプロコーチは、なんやかやと言いすぎる。型にはめ込もうとする。それはもう、ひどいもので、試合経験もない素人に向かって右足がどうの、腕の引きがどうの、その他もろもろ、口うるさく「指導」する。

あんな指導方法では、テニスはなかなかうまくならない。うまくならない方が、スクールにとっては、お客をいつまでも囲っておける。だから、やたらと複雑怪奇なことを押し付ける。

どうせ素人である。多くの人とテニスとの関係は、趣味であり遊びであり、健康保持の手段の一つである。全豪や全英で優勝する必要はない。どころか、地域の大会にも、出る必要も、その実力もないことだろう。大部分のテニスプレーヤーにとって、自分流のテニスをすることが、最大の目的である。

 

テニスのことのみを話しているのではない。教育について話しているのである。


さて、先月の筑波大学付属駒場中高の文化祭である。
縁あって、筑駒の文化祭には、以前から何度も立ち寄っているが、そろそろ飽きてきた。どうも、面白くない。批評批判する気はないが、さりとて応援する気にも、なれないのである。
文化祭全体が形骸化している感があるし、生徒の実力不相応になってきている。一言でいえば、拡大しすぎである。無理があるのである。

関係者が、パンフレットに書いていたが、フリーズを待たずにリブートとは、ちと焦りすぎである。
洗練縮小して、中高校生相応の文化祭を計画すべきだろう。2025年の文化祭は、肩の力を抜いて、楽しく充実した内容であることを期待している。
結局、何事によらず、個人の自由な感性と実力とを、無理なく出せばいいのである。型にとらわれる必要はない。

 

伊藤あおいが世界4大大会で、どのような結果を出すかは、未知数だが、それでも「あおい流テニス」は、多くのシニアやジュニアのアマチュア選手に、型にはまらない自分流テニスの可能性を教えたのではなかろうか。

 

筑駒文化祭2024