ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

運動会や体育祭の哀しさ。無料演芸会、地域サービスもいい加減にしておけ。

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 小中学校は長い間、3学期制で、4月9月1月が新学期の始まりであった。現在は、2学期制が多く、この場合は10月が境目である。

 

新学期が始まると早々に、学校は、常にも増して大忙しである。

指導計画、教材準備、すべて万端なはずなのに、なぜバタバタするのだろう。

すぐに運動会があるのである。都合よろしく、5月にする学校が増えた時期もあったが、9月または10月開催に戻る学校が多い。

運動会という、変な行事が当たり前のように居座って、もう何年になるのだろう。いい加減に終わりにしたらどうか。
あれは地域の人々を慰撫するための、無料の演芸会である。サービスである。
子供を、暑い日中に運動場に晒して、勉強を放棄させ、こき使って、意味不明の踊りに類似した集団演技をさせて、地域の住民に護摩をする。
指導する教員も、ご苦労だが、何より子供が迷惑する。

運動会は百害あって一利ない代物である。
もう止める、と職員会議で決定すればいい。そんな学校は、学校自由選択制の下で、大人気となって、子供や親が殺到するだろう。
嘘だと思うなら、お宅の学校で、まずやってみたら如何。

日本の公教育が、惰性で甘えてきたこと、周りの評判に怯え、振り回されてきたことが、よくわかるはずである。


中学校では、体育祭の練習が、うまくいかない。あんまりうまくいかないので、教員による指導を最初から放擲して、子供を利用することを思いついた。
中学生に運営を任せるふりである。生徒主導だそうである。主体的だの自主的だの、意味不明の奇麗事を並べ立てて、教員は、実際の指導からちゃっかり手をひいて、一挙両得を目論んだ。
要するに放任である。ほったらかしなのだから、ろくなことにはならない。

特にひどいのが、演技種目で、練習に不熱心どころか、はなから、練習なんかしやしない。
徒競走だけなら、半ば、やけっぱちで走る子供達も、演技となると、「馬鹿馬鹿しくって」やる気にならない。

 

小学校の運動会で、散々、演技と称する猿真似を無理強いに、やらされてきたのである。もしも、それが楽しくてやりがいを感じていたのなら、中学生になっても、喜んでするだろう。
そうしないのは、小学校の運動会が、楽しくなく、やりがいもなく、不愉快なだけの思い出しかないからである。
それでも小学生である。教員に大っぴらに逆らうこともなく、従順に操られてきた。
中学生ともなると、そうはいかない。あんなことするもんか、となる。

 

中学生が、教員の指図通りに行動しないのは、問題ではあるが、その根は、小学校の運動会という無理無体な「やらせ行事」の、「児童虐待」に原因がある。

どうしても体育祭だの運動会だのを、したければ、「なんとか踊り」「組体操」等をすべてやめて、「かけっこ」だけにすればいいのである。練習なんて、不要である。
その場限りの、愚劣なダンスの類の振り付けを必死で覚えさせられて、挙句が、子供だましの「やらせ」なのだから、小学生とはいえ、はらわたが煮えくり返ったことだろう。
二度と猿真似演技なんかしたくない、これが正直な気持ちなのだろう。

何度でも言う。
運動会を止めるべし。害のみあって、利のない代物である。

それでもなおかつ、こだわるのなら、地域なり財団なりの責任で、社会教育またはイベントとして、するがいいだろう。