コロナごっこは、まだ続いているらしい。
マスコミでは、コロナウイルスの話題が途切れることを恐れて、連続して毎日騒いでいる。仕事もせずに、コロナ話題だけで食えるとは嬉しい稼業である。
マスクは、今やファッションと化した。
マスク業者の売り上げを想像すると恐ろしい。
使い捨ての紙マスクは無駄だと煽っておいて、布マスクが売れすぎると、今度は紙マスクを再び宣伝する。作りすぎた紙マスクは、安くなった。いずれまた値上げする気だろう。
話は変わるが、日本の大学は最低水準にある。大学教員に競争がなく、無能教員の集まりである。学生もまた、勉強嫌いの子が多い。
こんな事実は、あなたもとっくの昔に、気づいていることだろう。
あなたがもしも、幸運なことに、創造力にあふれ優秀な人材であるのならば、それはあなたの受けた教育のためではない。特に大学や大学院のためではない。
あなた自身に、もともと能力が備わっていたからだ。自分の能力を、あなた自身が鍛えて育て、伸ばしたからである。
コロナごっこは、オンライン授業の可能性を現実にした。
以前も話したように、大学の授業と称する時間つぶしと無駄話は、すべてオンラインの授業が駆逐する。
オンラインで非常に優秀な教員の「授業」を受けた方が、無能教員に付き合わされることよりも、何万倍も有意義かつ効果がある。
今回の、コロナ騒動に何らかの利点があるとすれば、オンラインの授業効果をはっきりと証明したことだ。
日本の9割の大学は必要ない代物である。日本の大学教員の99パーセントは、無用の金食い虫であり、害悪である。あの連中に、終身雇用の高給を与えることが、どれほど日本の大学生とその親を苦しめ、結局は、日本の教育や社会全体を駄目にしていることを知るならば、呆然とするだろう。
競争は、シニアのテニスクラブにも必要である。少年サッカーのレギュラー争いも同様である。
競争は、誰もが心底楽しく感じる本能である。プロスポーツばかりが、競争の場所ではない。
教育もまた、ある種の楽しい競争である。それは学ぶ子供たちよりも、むしろ教える教員に必要なことである。
しかし、多くの私立の中学高校の教員や、国公立私立を含めた大学教員の99パーセントは、競争がない。ぬるま湯の仲良しサークルである。
特に大学教員の無能ぶりは目を覆うばかりであって、どうしてあんな連中に給料を与えなければならないのかが、理解できない。
大学教員が無能で、有閑人であるにもかかわらず、安定した高給与を得ていることの理不尽さを、だれよりも知っているのは、ご本人の大学教員たちだが、当然ながら、そのことを話したがらない。
オンライン授業を大学教育の主流とする。ならば、授業料は現在の十分の一でも高すぎる。大学の数は百分の一でも多すぎる。大学教員は千分の一に減らしても、多すぎる。
これは日本の大学教育制度に限らない。一体全体、世界には、名ばかりの大学が多すぎる。無能教員の高給生涯保証制を止めることである。具体的な改革方法は各々、大至急考えてくれ。