ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

全員がフェイスシールドの学校。ここは『未来世紀ブラジル』 か。それともジョージオーエル『1984』か

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なんともまあ奇異である。教室で、すべての子供がフェイスシールドをして、机に座っている図を想像してほしい。
血の通った子供とは思えない。管理社会の小さな歯車または部品であり、まるごと管理されることを喜び、もはや、管理されていることすら忘れ、自分を忘れ、単なるアメーバのような個々人に成り下がった感がある。

なるほど、コロナ騒動、または武漢コロナごっこの、真の狙いはここにあったのか。

『ハンガーゲーム』のような社会か、『レディ・プレイヤー』か。『未来世紀ブラジル』か。それともジョージオーエル『1984』か。
そのどれでも、ありえる。


一体全体、武漢コロナ風邪対策とやらで、大の大人がマスクをしている姿は、情けなくて見てはいられない。
どこにも重篤患者がいないのに、まして、感染者すら確認されていないのに、猫も杓子もマスクをつけて、気持ちが悪い。
あれは、社交儀礼というか、一種の不気味なファッションで、どうせマスクの裏は唾液でべたべただろう。
マスクの膨大な在庫を空にするまで、法外な値段で売りつけようと、利益集団は、熱心である。

 

一連の法的逸脱行為により、通常なら、安倍内閣はとっくに潰れてしかるべきである。にもかかわらず、続いているのは、まさにコロナ騒動が延命措置となったのである。武漢コロナウイルス様様である。
マスコミと結託して、武漢コロナで踊りまくって、有権者を振り回せばいい。

ついでに、元は国民の血税であるのに、政策判断であるかのように、ありったけの金をばらまく。
ばら撒き方が、あまりに雑で、届かねばならないところには、届かない。届かせない。やる気もない。

安倍内閣延命のためには、莫大な宣伝費をつかう。遠慮なしである。ちょっぴり小出しの金銭補助は、先の大戦末期の軍部に似て、逐次投入ばかりで、全然効果がない。そのくせ、ここにはいくら補助、あそこには、いくら出す、とばかり金額を言い張って宣伝するが、一向に、金は動かない。国民には金をやらない。やりたくない。
ここでも、現内閣に都合のいい連中には真っ先に金をやる。利用できない連中には、びた一文やらない。
これが安倍某内閣のスタンスだろう。

安倍批判をさせてはならじ、とマスコミの制御を、政府は徹底するけれども、なーに、マスコミも元からグルだから、金を儲けることができればいい。先から仲良しである。


安倍内閣を即刻退陣させ、他にやらせるのが賢明、という人もいる。
では、安倍某の代わりに誰にやらせるのだ、と問われると絶句するしかない。


話を戻すと、日本国民の、大勢に流されやすいこと。マスコミの言うことを、入学したての1年生よりもよく従うこと。全体主義にすぐに馴染むこと。
まったくもって、驚くべき従順さである。

 

 

ところで、この世の終わりほどに大騒ぎしたのに、今度は手のひら返して、武漢コロナ風邪騒動を、一応、梅雨前に終わりにさせたいようである。

 

いずれ二次感染、三次感染の騒ぎが起こるだろうって? 

それはそうだ。風邪は年中、流行る。そのたびに大騒ぎする気なのだろうか。ご苦労である。

かつて、エイズ鳥インフルエンザ、サーズだマーズだので大騒ぎした。
これからも、流行病は永遠に、出現し続けるだろう。
そのたびに慌てふてめいて大騒動をする気なのか。
いい加減に、観念して、雨が降ったくらいのつもりになったらどうか。

 雨が降れば、傘をさすがいい。

 

 

 

黒川弘務検事長も、ニッコリ。すべてシナリオ通りで政府も安泰。コロナに騙されない中高生。

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晴天の好日に、某知人が訪ねて来て、言うには。

 

黒川弘務某検事長が、辞任した。シナリオ通りである。
賭けマージャンは黒川某の得意とするところ、大手新聞社の朝日、産経等の記者連中と長年一緒に遊んで来たのは、生来の性癖もあるが、どうせ互いに利用し利用されの関係で、新聞が権力と癒着すること、ハゼの餌にはゴカイが一番、と同様である。

そろそろリークOKのサインを本人が出したのだろう。計算づくでないとしたら、そもそも検事として不適格者である。
ただしかし、黒川某は、本心から賭けマージャンが好きだったようでもある。


さて、検事の任命権、解任については、検察庁法を見ればいい。
問題は、現職検事長の「賭けマージャン」である。人事院規則によって、当然、懲戒処分の対象となる。常習として賭博行為をしていたのだから、懲戒免職、最低でも停職処分が妥当である。にもかかわらず、訓告とは。すべて談合済みである。

 

以下くだくだしいから、いちいち述べないが、現政府、安倍某首相、森まさこ某法務大臣の一連の答弁発言は、無茶苦茶で、およそ論理一貫性を持っていない。嘘ごまかしを、眉一つ動かさず、ぺらぺらと平気の平左で、その芸人ぶりには、いつもながら驚かされる。

とにもかくにも、コロナ騒動を、マスコミ政府一丸となって、盛り上げて、なんとか、余命を伸ばそうとしているが、一連の疑惑問題に加えて、黒川弘務某事件があり、もはや安倍内閣は終わりである。

内閣不信任は、与党多数だから、内部分裂しないかぎり、可決されない。しかし、国民は安倍内閣を、とっくに見限っている。
内閣総辞職が妥当だが、そうは問屋がおろさない。安倍某は首相職にしがみつくだろう。結局、やけっぱちの総選挙となる。これは現在の野党では無理な相談であるから、やれやれ、このまま、幼稚で稚拙で愚かで嘘つきの内閣が続くことになる。
これが日本だ、ここで飛べ。

 

コロナ騒動は、まだ余韻があるが、これを長引かせることは、安倍某内閣を助けることになる。
つまり、コロナ騒動は、まだまだ賞味期限があるということだ。新聞マスコミ諸君の、政府に惜しみなく協力する有様、まさに翼賛会並である。

 

現職の首相以下議員の考えることは、現ポストを守り抜くことだけである。彼ら彼女らの、日夜思い願うことは、何があろうとも、どんな批判があろうとも、在職のままでいたいという、その一点である。

日本国民なんかどうだっていい。自分が、自分のみが、可愛く愛おしく、大切なのである。

ーーー
大要、以上のような話である。


コロナ騒動を、無理にでも続けていけば、政府与党およびマスコミは儲かる。その一方、国民経済は落ち込む。
簡単に言えば、公務員は得をして、一般業種の大部分は損をする。
しかし、これも図式的であって、だれでもが、利に走るから、各々、次の手は打ってあるだろう。

だから結局、どうってことない。
踊らされたのである。まんまと踊ったのである。これからも踊り続けるのである。大地に丸ごと、どうと倒れるまで、踊らされることだろう。

 

それにしても、中学生や高校生は、マスクを、店に入る時しか、しない。その他でマスクをするのが、恥なのだろう。コロナ騒動の欺瞞を、直感としてわかっているのではなかろうか。

 

 

学校教員ニッコリ。武漢コロナごっこが続いて、仕事をしなくても、給与をゲット。

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知人来りて、嘆いて曰く。


新型コロナウイルス感染とやらの「迷妄」が、一世を風靡した。今もまだ残滓がある。いつまで騒ぐ気なんだろう。検察庁法改正可決までの間だろうか。それとも、政府筋に都合のいい時まで、だらだらと宣伝する気だろうか。

 

武漢ウイルスは、前々から言うように、風邪である。しかも、軽度の風邪である。たまには肺炎症状で死ぬ人もいるだろう。これは趣味のソフトボールサークルで、一塁ベースまで走ってそのまま死ぬ人がいることと同様である。
風邪は万病の元だから、武漢ウイルスで、死ぬ人は死ぬだろう。これも運また命である。


某地域の小中学生に、学校はいつ始まるのだと問えば、来週木曜日の午後、1時間だけ登校するのだそうな。


学校教員は、今年3月から本日5月17日まで、まともに仕事をしていない。勤務先に行っても、やることがない。しない。

挙句の果ては、自宅待機、またの名をテレワークという不労所得である。もちろん、オンラインだのテレ何とかだの、するわけない。できるわけない。ちんぷんかんぷんである。
自宅でひたすらテレビショッピング、ネット三昧、酒をくらい、料理を食べ、暗くなってから、近所のジョギングや散歩。そのあと、テレビを見て、ネットのエロを見て、そして寝る。
朝、何時ごろか知らないが起きる。食べる。時には朝酒、朝湯をして、そしてテレビを見る。ネット動画を見る。また夜が来る。繰り返しである。

ひと月に何度か、数時間、勤務先に行く。登校は、推奨されてはいない。自宅でゆっくりしていいというのが、お達しである。

給与は、正規採用職員には、もちろん全額支払われている。
臨時教員非常勤教員等も、一度たりとも、学校に行かなくても、授業をしなくても、全額、または、少し減額されてはいるものの、がっちり支払われている。

どうも変だぞ。何かが変だ。

誰でも自分の利を、まずは自分だけの利を図る。公務員はなおさらで、自分に不都合なことは、制度を捻じ曲げてでも、隠そうとする。利を守ろうとする。何より、自分たちに不利益な制度は存在させない、作らない、作れない。まことに、良き身分である。


国会議員が最高の良職だと、国会議員本人から聞いた。高校の旧友だから、気を許した本音だろう。大臣職になった奴もいる。仕事なんてしていない。遊びである。すべて部下職員がやってくれる。本人は、苦い顔、または黙って座っていればいいのである。

 

 

検察は信用できない。検察庁は安倍政府の妾である。

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この度の、検察庁法改正案が、万が一にも通ってしまうようならば、今後一切、検察は信用できない。日本国民は、政府与党の恣意的利己的な私物となり、法は蹂躙され、安倍某の、なすがままになってしまうだろう。

 

あまりのことに冷静でおれないので、以下引用する。

引用1@@

堀田力さん(元法務省官房長)

 検察幹部を政府の裁量で定年延長させる真の狙いは、与党の政治家の不正を追及させないため以外に考えられません。東京高検の黒川弘務検事長の定年を延長した理由に、政府は「重大かつ複雑困難な事件の捜査・公判の対応」を挙げました。黒川君は優秀な検察官ですが、黒川君でなければ適切な指揮ができないような事件はありえません。
今回の法改正を許せば、検察の独立に対する国民の信頼は大きく揺らぎます。「政治におもねる組織だ」と見られると、捜査につながる情報が入らなくなったり、取り調べで被疑者との信頼関係を築きにくくなって真実の供述が得られなくなったり、現場に大きな影響が出るでしょう。

 検察はこれまでも、政治からの独立をめぐって葛藤を続けてきました。検察庁は行政組織の一つとして内閣の下にあり、裁判所のように制度的に独立していない。一方で、政治家がからむ疑惑を解明する重い責務を国民に対して担っています。与党と対立せざるを得ない関係なのです。 https://www.asahi.com/articles/ASN5F56YCN59UPQJ00B.html?iref=pc_rellink_03

 

引用2

検事総長らが定年延長に反対

法務省に意見書提出へ
2020/5/14 13:16 (JST)5/14 13:53 (JST)updated
c一般社団法人共同通信社

松尾邦弘検事総長ら検察OBが15日、法務省に対し、検察官の定年延長を可能とする検察庁法改正案に反対する意見書を提出することが14日、分かった。意見書には、ロッキード事件の捜査に従事した元検事ら十数人が賛同する。

「検察の独立性がゆがめられる」と強い批判を浴びる法案を巡る動きは、検察OBらも反対の姿勢を示すことで異例の事態に発展する見通しとなった。

松尾氏は1968年に任官。東京地検特捜部に在籍し、ロッキード事件の捜査に当たった。2004年に検事総長に就任。裁判員裁判制度の準備など司法制度改革に尽力したほか、ライブドア事件などの大型経済事件を指揮した。 https://this.kiji.is/633505597082338401

 

 

その他探せば、正論の類は、いくらでも出てくるだろう。

 

とにもかくにも、このようなでたらめなことが、「選挙で選ばれた、多数与党だ、自由にやって何が悪い」、と開き直られるようでは、世も末である。

本来は 国民全員が武器を手にとって、国会の周り十重二重と取り囲んでもいいくらいのものである。

もっとも、武器は穏当ではないから(制圧部隊にニンマリの理由を与えることになる)、せいぜいマスクして社会的距離を取って練り歩くぐらいのものだろうか。

 

やれやれ、ぱるるの教育批評で、こんなことを言わねばならぬとは情けない。

しかしながら、法は国家の準則である。与党が多数というのをいいことに、首相個人の利益のために動くのは、なんとしても残念である。

何度でも言うが、今回の案が通ったら、国民は子供から大人まで、「検察は信用できない。検察庁は安倍政府の妾である」と、大声で歌うようになって、日本は法治国家から転落するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「検察官定年延長法案」というインチキで、道徳を教えることができるのか。

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ーー
安倍晋三某は、どういう風の吹き回しか、旧来の関係を持つ黒川弘務某を、検事長のまま、続けさせてたくてたまらない。そして、今年、退官予定の稲田伸夫検事総長の後釜に据える気である。
さあ、検察を押さえたら、安倍のやりたい放題である。安心して、あれもこれもできる。
河合克之、案里夫婦の公職選挙法違反疑惑が追及されている折から、河合夫婦を検察が徹底追及していくならば、安倍本人にも「ヤバい」ことが出てくるだろう。

最悪の事態を収拾させ、ごまかすためには、黒川某が、検事総長になることが必須となる。
安倍は本気で、黒川弘務を利用しようとする。なんといっても、黒川某は、検察官というよりは、むしろ法務官僚である。安倍と仲良しだ。

 

さて、
安倍晋三という男は、平気で嘘をつく。それを指摘されても、まったく動じない、という異常な特質を持つ。一種の才能で、淡々とした語り口は、本当のことを言っているのではないかと勘違いさせるに足る技量である。


ところで、

たまたま動画ニュースを見ていると、
フジテレビ上席解説委員「平井文夫」とやらが、安倍晋三某首相の応援提灯意見を得意げに話していた。
どうせテレビ局の連中の一味とはいえ、いやしくも「上席解説委員」なんだろう。今回の、検察庁法改正案の異常性を言うべきなのに、そんなこと一言も触れない。

芸能人が、コロナ疲れの発散として、法案に反対のツイートをしている。これは仕掛け人がいるのだろう、などと、低劣極まりないことを、真顔で言う。
無知も、ここまでくると、面白い。まさに、平井文夫という芸人の下手なコントを見たわけである。

高橋洋一某という、いったん政府から追い出され、今度は、現政府にすり寄って、なんとか汚名挽回とばかり頑張っている安倍某の応援団員がいる。この男も、まったく検察官の職務の特殊性がわかっていない。

 

いや実は、とっくにわかっていて、だからこそ論点をはぐらかして、不正に誘導しようという魂胆なのだろう。どこまでも、悪である。

 

検察庁法改正案については、各人で調べればよい。
調べれば誰でもわかることだが、検察官は他の国家公務員とは、全然立場が違う。

検察の定年は、各人の誕生日である。検察官個々人によって定年の日が違うことになる。
これはもちろん、検察の仕事が属人的なものでなく組織的なものであって、持続性と透明性公正性を担保するためである。

検察官には、事務引き取り移転権があり、担当事件が外部の圧力によって影響されないように担保されている。これが「検察官同一体の原則」であり、だからこそ、当該事件を組織として、徹底的に追及できるのである。

個人としての検察官の定年を延長する意味が全く見いだせない。むしろ延長させてはいけないのである。何事も長く続けていれば、必ず腐る。権力はその典型である。

 

それにしても、検察官定年延長という暴挙愚挙を平気で行う安倍晋三という男は、どこまで腐っているのだろう。というより、むしろその厚顔無恥に呆れる前に、恐怖すら感じるのである。

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以上は、久しぶりに当家を訪れた、教え子の弁である。
もちろん酒が入っている。酒は本人が持ってきて、勝手に飲むのだから、かまわない。こちらは、ありあわせの肴を出せばいいのである。

日本国民は何でも見ている。アメリカ、ヨーロッパ、香港その他のように、すぐにデモをするような表立った行動はしないけれども、感じるところは深くある。あからさまな出鱈目をやっていると、その不信は絶対に消えない。
安倍晋三某は、そのことをよく考えたほうがいい。

 

河合克之某については面白い話があるが、それはまた。


どうも、教育批評というテーマが、すぐに他の話になって困る。
現在、学校が、オンラインなんとやらで、閉じてしまっているのも、感興が消えやすい理由である。

 

オンライン授業は楽勝、エロ動画も見放題。人員削減ができるのか。

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オンライン授業とやらが始まっている。
某学生に感想を聞くと、講義はログインするだけで出席扱いだから、教員の音声はカットして、画面分割でエロ動画を見る。またはデスクトップでゲーム三昧。単位ゲットは楽勝である。
ゼミナールは、ズームの出番だが、これまた互いに慣れていない者同士だから、いったい誰が誰に向かって言っているのやら、混乱する。回線もタイムラグがある。
それでも、なんのことはない、時間が過ぎた、と言う。

 

武漢ウイルス騒動で、急に、とってつけたようなオンライン授業だが、果たして定着するかどうか。

現職教員は、今のところ馘首される心配がないから、オンライン授業には反対ではない。憎たらしい児童生徒に直接対面しなくて済むのだから、万々歳である。
捨て猫のような従順服従がお得意の大学生ばかりを、相手にしている大学教員は、どちらでもいい。というか、むしろオンラインなんて面倒だが、すでに成績処理でオンラインの快適さを知っているから、これもやっぱり、本音では大賛成だろう。


かくして、現場では授業のオンライン化は歓迎されている。
コロナウイルス景気で盛り上がった、幼稚で無駄無理時間つぶしのオンライン授業だが、みんなそうなんだから、胸を張っていいい。何事も初期の混乱は、当事者に有利になって、結局は利得をするものである。マスク製造業や議員を見るといい。ついでにいえば、医療従事者(とはいえ、この中身が問題だ)も、損はない。

 

しかし、私の言いたいことは、教員削減である。

オンライン授業は、例えば、中学3年数学を例にとるならば、全国で、せいぜい、10人の教員が行えばいい。それを、グレードに合わせて、子供たち、または所属のグループが、選んで受講すればいいのである。
その10の授業は、トップレベルの構成、理解、知的水準を保つ最高の授業であればいい。
だから、全国に、中学3年生担当の数学教員は10人いればいいのである。
同様に各教科、10人ずつだと仮定すれば、どうだろう。最大見積もって各学年総教科込みで100人いれば足りるとして、小学一年生から中学三年生まで9年で、900人いればいい。その教員らの授業には、オンライン化にあたり、技術スタッフをつける。一人の教員に3人もつけてやれば、十分すぎる。

さて、高校は、学年教科ごとに、5つのグレードの授業があれば必要充分である。3年間で最大30教科と仮定して、90の5倍で、450人いれば足りる。

こうしてみると、日本全国、正式採用の教員は小中高合わせても、1500人未満で十分である。各人に、給与は今の十倍やる。その代わり、最高水準の授業をやってみろ。それが可能な連中であることが必須である。
これは1年契約制で、学年末の子供の評価によって、再採用か馘首かを決定する。

以上は、単純な方策だが、日本の教育はこれで確実に良くなる。


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以上は某君の意見である。


教員の絶対数を減らして、その代わり、正教員に、現在よりも給与を十倍やるというが、いえいえ、百倍でもいい。一年間、勤められたら、一生稼がなくていいくらいにくれてやれ。そのくらい、最適最高の授業を行うのである。それが可能な教員は、国家の宝である。


その前に、国会議員をはじめとする各都道府県等議員である。これもまた、オンラインの利用で、選挙その他各種の「仕事」を精査すれば、あなたも感じている通り、議員の数が現在の10分の1でも多すぎることは明らかである。
だからまず議員を減らすことだ。

次に各役所の現業以外の部署の人数を減らすのだ。というより、省部局等々を潰せ。
事務労働の多くは、外部委託なり、なんなりで、簡単にオンライン化できる。

結局は、公務員の削減である。学校の閉鎖縮小、教員の馘首整理である。

これをしなければ、永遠に労働格差はなくならないし、自己の払った労力と受ける対価との大きな差が、縮まることはないだろう。

 

ついでに言えば、消防署員、自衛隊員も多すぎる。詳しい検討をだれかしてくれないか。