ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

コロナウイルス感染、武漢ウイルス騒動、いい加減にしろ。平生通りで問題なし。

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武漢ウイルス(別名、新型コロナウイルス)騒動がまだ続いている。

政府、マスコミもろ手を挙げて、コロナウイルス騒ぎで、大キャンペーンである。

初期の勘違いや失策を気づいたら、すぐに反省して方向転換すればいいものを、自分の利益とメンツとに執着する。哀れというも愚か也。

 

武漢ウイルスは質の悪い風邪である。風邪は万病のもとであるから油断はできないが、毎年かかるし、これからもかかるだろうし、つまりは風邪に過ぎない。

武漢ウイルスに限って、いつまで騒ぐ気だろう。

ロックダウンとかで、映画の見過ぎである。以前から話しているが、通常通りの生活で、何ら問題ない。

学校のみならず、すべての企業、すべての施設を、再開していいのである。

 

何が専門なんだか、専門家会議とやらが、いろいろいじくって、それを鵜呑みにする政府関係者、時の権力に連動して、ちょうちん持ちのマスコミ連中、四六時中、武漢コロナの薄っぺらい情報らしきものを流して、嬉しげである。自分の利にはなるし、注目もされる。狂ったように、踊りまくるのも人情だろうか。

 

迷惑するのは、国民であり、特に、私どものような、日本国民のほとんどを占める貧乏人である。

一体全体、医療崩壊だの、三密だの、不要不急だの、スマートだの、よくもまあ、次から次へと軽薄低俗なコピーを叫んで、官民一体となって、国民を誘導するとは、いい根性である。

 

かくも、怪しげで先行きの見通しもない政府におかれましては、云々。いやいや、何を言っても無駄であろうな。

かくなる惨状を、だれよりも追認し、羊のごとくおとなしく従うのは、やはりここでも、あなたであり、私であり、自分たち彼、彼女、老若男女の日本人ではないか。

まったくもって、何を言っても無駄である。いづれ、吉凶、落ち着くところに落ち着くのだろう。

 

もう少し書く。

5月の連休に、さして広くもないアパートに親子ともども閉じ込められて、テレビにかじりついているの図は、韓国映画パラサイトどころではない、なんともうすら寒いではないか。

行楽地やデパート、公共施設の類は、すべて閉じている。平日に開けていた大型店までもが、ゴールデン連休中は休業だそうである。一体全体、何の真似だ?

公園もダメ、海もダメ、釣りすらダメ、山登りも自粛とやら。ばかばかしくって笑いがこみ上げる。もはや怒りが渦巻くのである。

さあ、そこで、国民を洗脳するのが役目の、テレビの出番である。やたらと武漢ウイルス感染者数だの、入院隔離だの、死者数?だのの「惨状」を吹聴している。日本国民に、武漢ウイルスは世界の終わり、とても怖い「疫病」で、政府のこれまでの諸策は間違ってなかった、今も、これからも、おとなしく言うことを聞けという、メッセージである。

嗤うべし。

 

日本その他の国が、武漢ウイルスごっこで振り回されている一方で、北京共産党政府は、さっさと歩きだしている。油断召さるなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武漢ウイルス(COVID-19、中国向けには、新型コロナウイルス)いい加減にしろ。5月学校再開でOK。

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ある人来りて、嘆いて言うには。

 

やれやれまだ武漢ウイルス(COVID-19、新型コロナウイルス)の騒動が、続いている。
学校はいつ始まるのやら、わからない。こんなことでいいのだろうか。
子供は元気いっぱいだが、長く続く家庭内監禁で、怠け癖のみならず精神まで病んできた。

 本来、子供は健康そのものである。コロナどこ吹く風(風邪)である。コロナ騒動真っただ中の3月でも、学校に来ている児童生徒がたくさんいた(あえて、都道府県地域名は伏せておく)、風邪模様の子も多かった。教室で、くしゃみ鼻水鼻詰まり、咳の嵐である。嘔吐した子もいるが、幸いというかなんというか、別段、欠席もなく、学期末の3月25日を迎えた由である。

なんのことはない、前から言うように、武漢ウイルスは、なるほど人によっては強力に作用するけれども、風邪であるには違いない。
子供は風の子(風邪の子でもある)というが、風邪に慣らされて、克服して大きくなるのである。
武漢ウイルスごときに、いつまでもびくびくしてどうなるのだろう。

もちろん、風邪は万病のもと。特に武漢ウイルスは、悪性の風邪であるから、人によっては、病状が重くなり、その結果死亡することもあるだろう。それは広い世間である。そういうこともある。あり得る、あるに違いない。

しかし、そのたびに、大騒動するのは、どう考えてもおかしい。

子供はすでに感染している。感染していなければ、武漢ウイルスを跳ね返したのである。体質や自己免疫に類した何かが作用して、武漢ウイルスをパスしたのである。または受け止めて、換骨奪胎というか、自己体内の糧としたのである。

5月、連休明けには、学校は再開するがよかろう。何の問題もない。衛生に気を付けるのは当然であるが、効果があるのかどうかもわからない大袈裟な消毒は、もう止せ。三密だの外出自粛だの、不要不急だの、いったい頭がどうかしているのではないのか。政府マスコミ一丸の大キャンペーンで、ついでに各種選挙で出てきた者共の自己宣伝までもが、一体化して、いつまでもいつまでも、コロナごっこで大騒ぎである。バカバカしい。

どうせ、いつになるかわからないワクチンを期待して、どんどん規制を強化して、どうするつもりだろう。

いいかよく聞けよ。ウイルスは変種する。風邪はそのたびに変化するだろう。いちいち、対応して、部屋に閉じこもる気か。だったら、今後数十年
間、マスクをして体温計を片手に布団の中で縮こまっているがいい。

 

5月は、天気もいい。教室の窓を開け放して、のびのびと学ばせるがいいだろう。

 

ついでに。

アメリカやイタリアの死亡者数をもとに、大騒動する輩がいるが、日本とあちらとは、全然違う。

武漢ウイルスが原因とされる死亡者数の比較をしてみろ。日本人の免疫というか、なんというか、武漢ウイルスに対する抵抗力の大きさがわかろうというものだ。

どうも変だぞ。

これほど、コロナ騒動を、煽り、演出するのは、何らかの利があるに違いない。マスコミテレビを筆頭に、怪しい連中ばかりである。

とか云々。

 

 

 

 

学校給食が子供の味覚を破壊した。武漢ウイルス(新型コロナウイルス)ネタとオンライン授業ごっこ。

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武漢ウイルス(別名 新型コロナウイルス)騒動で、いつ果てるともない報道合戦が続く。テレビ視聴率は、空前絶後に跳ね上がっている。テレビ各局、報道業関係者は嬉しくってたまらない。彼らは、コロナ騒動が続くことを願っている。そのためには、コロナウイルス関連のネタを、大声でさも真剣気に、叫び続けることである。

ついでに言えば、都道府県知事等、地方自治体長が、存在感をアピールしようと、自己宣伝に余念がない。衛生局長あたりに発表させればいいものを、自分が自分がと、しゃしゃり出る。お前はテレビタレントなのか。いい加減に引っ込んでいろ、と怒鳴りつけたいが、なんのことはない。当人自ら芸人であることを、とっくの昔から承知しているのである。

さて、本題である。

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戦後、学校給食が始まって、学校は託児所と化した。

食べることは、人間の基本である。その基本を学校が丸ごと面倒を見たものだから、各家庭は、学校に、我が子を丸投げしてかまわないと勘違いをした。
食べることぐらい、家庭で面倒を見るべきである。それが親の最低限の務めだろう。
どの親に尋ねても、学校給食廃止に賛成する人は、めったにいない。
逆に、行政関係、特に財務関係者は、口をそろえて学校給食はすぐに止めたいと考えている、という。
だが、母親には選挙権がある。彼女らが、学校給食で楽をして、にんまりだから、議員も、おいそれとは動けない。


学校での子供の昼食を、すべて母親に作れとは言ってない。どうせ無理なんだろう。

家庭の責任で、子供に自由にものを食べさせてやれ、味のあるものをたべさせてやれ、と言っているのだ。
弁当でもいい。地域の料理屋からの出前でもいい。あるいは、私立学校が得意とする校内食堂を作ってもいい、ともかく、食に関して、学校が強制的に子供に一律に押し付けるな、と言いたいのだ。

学校給食は、家庭から、子育ての大切な第一歩を奪うことになる。それのみならず、日本国民の味覚を破壊して、コンビニ弁当並みの味しか知らない人を、量産してしまう。

学校給食は、味付けに問題があるけれども、それ以上に、無理強いして、食べさせることが、もっと悪質なことなのだ。

食中毒はタブーだから、献立は限られる。油料理、揚げ物が定番である。調理施設、費用の点からも、偏った内容にならざるを得ない。

それを無理やり強制して、子供に食べさせるのである。
子供の味覚は駄目になる。

もっとも、コンビニにとっては、うれしいばかりである。パック詰めの即席弁当の類を、違和感なく食べることのできる人間が、おかげで増えた。

食べる環境も絶悪である。チョークの粉が舞い、天井から埃が落ちてくるような教室で、わいわいざわざわ、食べさせるなんて、およそ非人間的である。

腰抜け政府は、何かと言えば、外国へは大金をくれてやってるが、国内の学校を建て直すことは、意地でもしない。
政府関係者は一応のエリートである。塾やらコネやらなんやらで、名のある中高大学を経て、同じくコネ(例外あり)で就職した連中である。一般公立学校を蔑視している節がある。

子供の中には、どうせ、優秀なやつ(いればの話だが)なら、どちらにしても這い上がってくる。
その連中は、中学あるいは高校、遅くとも大学からは、特定校のエリート集団に入ってくるだろう。それからでも、うまみを味わえばいいと考える。つまり、おいしいところは、お仲間になってから味わいましょう、ということだ。

だから、一般の公立小中学校はどうでもいのである。汚れた教室で配合飼料のような「学校給食」をあてがってやればいい、と考えたのだろう。
これでは、子供は豚舎の子豚なみである。

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さて。

今日現在、子供は、在宅である。家で自習しているような、なんだか、春休みの無期限延期中のような感じである。

一方、学校には、教員はいない。いてもせいぜい数人で、ほとんどの教員は登校していない。在宅である。

では、流行のテレワーク何とか、だろうか。

いいえ、なにもすることがない。どうせ、慣れないオンライン授業なんてできるわけがない。大方の学校は、業者に依頼中で、または、少しばかりパソコンをかじった教員に、幼稚なオンライン授業の真似事みたいなものを作るようにと、任せるのが関の山である。

つまりは、日本全国の学校教員は、ゆったりと自宅でくつろいでいる。すべての公務員と同じく、給与は完全に支払われている。学校に通っても、通わなくても、授業をしなくても、在宅でネット配信動画三昧でも、同じことである。

 

議員は非常に良い職種である。私がこんなことを言わなくても、あなたが先刻ご承知だろう。

では公務員はどうだろう。自衛官はどうだろう。教員はどうだろう。

あなたが考え、あなたが判断すれば、いいのである。

 

コロナウイルス感染拡大で儲かるテレビ芸人。教員たちの今現在。武漢ウイルスと呼べ。

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やれやれ困ったことである。コロナ騒動が一向に収まらない。バタバタしても無駄なのに、どうしても駄々をこねる。どういう了見だろう。

前から言うように、もうとっくにコロナウイルスに感染している。そして、自然治癒している。そういう人がほとんどだろう。ウイルス感染は防ぎようがない。手を打つのが遅すぎた。広く流布した後で、検査をして何になるのだろう。

これは、少し荒っぽい風邪である。風邪は毎年、経験する人はする。一向に風邪と縁のない人もいる。
風邪だから、まれに重篤化して死亡する人もいるだろう。いちいち、大騒ぎするんじゃない。

近所の子供たちは、公園の広いグランドでサッカーに興じている。
子供は、学校再開まで、いつ終わるともない長い休みである。宿題らしきものを済ませて、太陽の下で元気よく運動するがいい。


新型コロナウイルス感染拡大」と発する時の、テレビニュースキャスターというのかどうかは知らないが、手元原稿を話す連中の、張り切った声を聴くと、虫唾が走る。
テレビ業界人は、空前の視聴率に嬉しくてたまらない。報道番組で、コロナウイルスと一言叫べば、皆が振り向くとでも思っているのだろう。
残念でした。少なくとも、テレビを見ない人が、国民の数パーセントはいるだろう。テレビを無視する人である。
ネットを見ていれば、テレビ報道の大体の流れはわかる。テレビ局も、どうせネタ元はネットだろう。または、他局の報道のオウム返しだろう。しかも、古いネタ、同一のネタを、一日中繰り返している。うんざりである。

局は、新番組を作る必要もない。コロナと叫べば視聴率が稼げるのだから。ニュース番組は低予算で、それでいて高視聴率を得ることができる。
テレビ業界は、ついに、まさに金の山にぶち当たったのである。マスコミ、テレビ業界人の、この夏のボーナスは、空前のものになるだろう。おめでとう。
げに憎むべきは、テレビである。

 

あなたはテレビ大好き人間なのだろう。テレビを消せと促されても、まさか、消さないだろうから、せめて画面から目を離して、隣の部屋に行ってごらん。
そして、テレビからあふれ出す、早口言葉を聞くといいだろう。コロナウイルス関連を話すときの、テレビの、卑しく下劣で愚劣で嫌味で内容空疎で軽薄で繰り返しばかりの、しかも喜びにあふれた口調に、唖然とすることだろう。
げにげに憎むべきは諸悪の根源、害悪の塊、テレビである。

 

さて、少し話を変える。
学校の教員が、今現在、どのように過ごしているかである。。

教員の悩みといえば、対人関係に尽きる、といっても、最大の関心事は職場同僚との人間関係でもなければ、彼氏彼女の問題でもない。

授業である。つまり、授業が成立するかどうか、教室で子供との関係がうまくいっているかどうかが、最大にして最重要の問題なのだ。

教職がブラックだの、教員の自殺や病気が多いだのは、実に、教員本人が、授業をうまくこなせていないからなのである。

さあ、そこでだ。コロナウイルス騒動である。

3月から、無期限に子供を家庭に追い返したのである。子供は学校に来ない。教員はやることがない。学校に、肝心の子供が来ないということは、教員が全くの暇だ、ということである。最大の悩みから解放されたということである。

給与はもちろん全額が、何事もないように振り込まれているだろう。教員は、笑いが止まらない。こんな安直な毎日を過ごしているのに、もらっていいの? 国会議員よりも、各都道府県知事よりも、楽な仕事ではあるまいか。

一番の悩みであった、子供との関係に頭を悩ませないですむ。授業をしなくてすむ。

授業をしない教員職とは、かくも平穏安楽極楽であったことよ、と全国の教員は、心の底から実感しているのだろう。

コロナウイルス騒動で、にっこりのマスコミテレビ業界、地方自治体首長ほか、再選をを狙う議員たち。そして、学校教員たちも、やはり新型コロナウイルス騒動には、大ニッコリなのである。

 ここにいたって、テレビマスコミ芸人を憎むとともに、学校を閉鎖して、教員をかくも甘やかせてしまった政府を、コロナウイルス騒動への対策を失敗し続ける政府を、またしても、激しく憎まざるを得ないのである。

 

 ついでに言えば、新型コロナウイルスという呼称は、嘘っぱちだ。はっきりと発症場所名で言え。

中国北京共産党政府に遠慮や配慮をしている場合では、なかろうに。

武漢ウイルス」と言え、「武漢ウイルス」とな。

 

 

 

 

 

 

 

 

オンライン授業、在宅授業のすすめ。教員の能力、評価システムとコロナ騒動の傷。

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授業の目的は、子供の知性を高めることである。
しかし、実際には、全然理解されていない。
子供にではなく、教員に理解されていないのだ。

知性を高める授業とは、何だろう。
授業前と授業後では、何かが変わった、向上した、と子供自身がはっきりと自覚できる授業である。何かがわかる、何かができる、という実感を、子供が持つことのできる授業である。

曖昧で鈍感な「授業のようなもの」ではない。
子供が本来持っている(であろう)知的欲求を抑えつけ、踏みにじるような授業、子供の学習意欲の種を、押し潰してしまうような授業ではない。

 

知性的な授業で育った小学生が、中学校では、授業が「全然面白くない」と言う。

「当たり前のことを、ゆっくりやっている。退屈で仕方がない」と不満を言う。
数分で理解可能なことを、もたもたと50分もかけて、堂々巡りをしている。
教員に指導内容の見通しがない。当該教科の全体把握がない。授業に、知的なインパクトを感じさせる迫力がない。

ある子供が、小学5年生で知性的授業を体験したとする。担任が替わって、6年生で「反知性的授業」を体験したなら、その子供は、はっきりと授業の違いを「認識」し「評価」できる。
しかし、残念ながら、それ以下の学年では、「冷静な感想」を持つには、子供が幼すぎて、授業の優劣を判断することができないことが多い。
だから、小学校では往々にして知性的な授業ではなく、その反対の授業が行なわれていても、問題になることが少ない。


その結果、目的が曖昧で時間つぶしのような授業が、日本全国津々浦々の小学校で、大手を振ってまかり通っている。
しかし、さすがに6年生や中学生になると、判断できる子供が多くなってくる。そうなると、ごまかしがきかない。
小学校から大学院までの多くの教員は、子供の授業判断力を、甘く見ている。現実を理解できないのではなく、認めたくないのである。

反知性的な授業の強制によって、子供から学習意欲を奪い、大切な学習時間を無為に過ごさせている教員が多い。

だからといって、教員の能力を一朝一夕に、変化させることなど、不可能である。
国家公務員などで一般施行されている「能力」等の評価制度を、学校教員にも、あてはめようとした。すでに実施されている。
しかし、簡単に敷衍できるものではない。
よほど慎重にかからないと、文科省の数ある失策の一つである「学習指導要領改定ごっこ」と、同じ轍を踏むことになるだろう。

 

学校教員の能力評価は、教頭校長,教育事務所職員や、子供や親の印象等の複合によってなされる。これが結構いい加減なもので、しかも、運不運に左右されることが多い。
それに加えて、見識も授業力もない教員が、要領よく立ち回って、管理職や教育事務所等の評価者の側に入り込み、人事評価をする。
こういった連中は、先輩後輩の巡り合わせや、自己宣伝に専念した結果であることが多く、実力や業績云々の世界とかけ離れている(おそらく、あなたの勤め先と同様だろう)。

それに第一、評価したからといって、当該教員の能力が変化するわけでもない。豹変するのは君子だけである。並みの馬は馬であり、犬は犬である。


現代の親や子供は難しい。社会も家庭も、さらに暗く難しい方向へ進む。
教員が、信念をもって、事に当たることは、ある意味では自殺行為に等しくなる。
結局、事なかれの、ご機嫌取りの教員ばかりにならざるを得ない。それを平気で疑問なく行動できる人が、大方の高評価を得る。

地域の評判、子供や親の感想、教育事務所職員との対応等々、教員を評価するには、不確定要素が多すぎる。他業種と同じような評価システムは、似合わない。
こんな単純なことすら気づかないとしたら、やはり、とことん駄目になるしかない。


「生きる力」や「総合的学習の時間」、ついでに「アクティブ・ラーニング」とかで、学習内容を破壊して、日本の教育は、世界中の物笑いである。
ある種の崩壊であり、新自由主義とかの軽薄な「グローバル社会」になっていくのだろう。

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ところで。

コロナ騒動をきっかけに、子供が毎日学校へ通わなくなって、今後も在宅で授業を受けるようになるとしたら、これほど素晴らしいことはない。

オンライン授業、在宅授業での学習は、力のない教員(あなたの想像通り、全国の教員の9割以上)の呪縛から、子供を開放する。学級内でのいざこざ、通学の無駄から、子供を救うことができる。

オンライン授業は、学校の各教室で勝手気ままに行われていた授業と称する戯言を、洗練し解放し向上させ透明性を持ち、優れたものにする可能性が大きい。

 

コロナ騒動、新型コロナウイルスをめぐる大騒ぎは、今後の社会構造を変化させるインパクトを持つようになった。ここまで話が大きくなってしまって、世界各国が振り回されてしまうと、大騒ぎが終息した後も、何らかの傷が残る。

それは人々の精神の奥深いところに居座って、行動の変化を促す。

多くは、むろん、負の方向である。だからこそ、せめて学校教育には、プラスの変化を起こさせる契機となってほしいものだ。

 つまりは、対面授業を廃止して、オンライン授業を徹底させることである。

ただしこれには、いくつかの条件がある。

施設としての学校のほとんどを、閉鎖解体すること。現職教員の7割を削減することである。

優秀なプログラム、効率的なカリキュラム、学業評価制度の単純化、インチキ入試制度を廃止するなど、諸策を実施、徹底することである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武漢ウイルス汚染作戦。コロナ騒動で得する連中、騙される人々。芸人、議員、公務員は勝ち組。

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武漢発の、コロナ騒動が終わらない、というより、終わらせない。
都道府県知事が売名チャンスとばかりに大騒ぎする。マスコミテレビは、空前の視聴率で大儲けである。忘れかけられているはずの芸人は、武漢ウイルスに乗っかって、話題にしてもらおうと必死である。

今回のコロナ騒動で得をするのは誰か。議員であり、マスコミであり、芸人であり、公務員である。
この連中の言うことは、実がない。言うことは、眉唾物である。他人の損失で得をする連中で、本心では、コロナ騒動が嬉しくて仕方がない。弾んだ声に喜びがあふれている。
かくなる者どもの、戯言をおとなしくありがたがって真顔で信じ込むとは、どういう了見だろう。

故宮澤喜一が、「日本人は信用できない、危ない」と述懐していたが、名言である。
日本国民の大部分は、お人好しで、宗教観が薄く、黙されやすく、我慢強く、誠実で、おとなしい羊たちの群れである。犬にせかされて、あっちこっちと振り回されて、結局、マトンになる。
個人の独立した考えや表現がない。頭の中身は、テレビ新聞マスコミのオウム返しであり、猿真似である。


武漢コロナウイルス騒動の顛末だが、不思議なことに、日本では、大きく騒いで、対処を大袈裟にすればする地域ほど、確実に感染確認者が増えて、大ごとになる。例えば北海道であり、東京都である。
変だな。いろいろと対処策をとれば、普通は功を奏するはずなのに、ますます泥沼になるのはなぜだろう。
そのほうが都合がいいからに相違ない。

感染は止められないし、ほとんどはすでに感染している。だからこれは、お馴染みの風邪になっている。
何度でも言う。風邪は万病のもとだから、重篤化する人もいる、死亡者も増えるだろう。だが、そのたびに天地がひっくり返るほど騒ぐんじゃない。
事実を受け入れるしかない。

武漢ウイルスをばらまいたのは、北京共産党の意図的な作戦である。と、信じる人が多い。たぶんそうだろう。

しかし、だからといって、あの大中国である。認めるわけがない。世界も、中国を糾弾しない。特に、WHO世界保健機関は、中国が大好きである。

トランプ大統領は、武漢ウイルス汚染が政治的作戦であると、中国北京共産党政府を非難しているが、理由のあることだろう。

中国は、大国のくせに、都合の良いときは途上国のふりをする。権利は主張するが、義務は果たさない。


話題を少し変えるが、マスクがブームである。
あんなもの、武漢ウイルスには、効果のほどは極めて怪しいのに、「マスクをしない者は、人間に非ず」くらいの勢いで、大流行である。
マスクはもはや、身だしなみ、というか、服装の一部と化した。
口紅より、アイメイクの出番である。気味が悪い。

なじみのスーパーでは、店内放送で、客に対してマスク着用を呼びかけている。だったら、入り口で無料でマスクを配るがいい。

マスクは実質売価、一枚15円もするものならば、高級である。
百円均一ショップで、数か月前までは、「活性炭入高級マスク7枚入り」が、当然、100円だった。それが今は、在庫がないどころか、数千円で売られている始末である。これまた、不思議である。あんなもの、増産に次ぐ増産で、むしろ安くなってもいい。
意図的に供給不足をあおっている。ある所には、あふれかえるほど、あるに違いない。

今度は、布マスクを洗って、使うのだそうである。バカバカしくって見てはおられない。
かくなる、善良で流行に左右されやすく、「あっちむいてほい」の習性は何とかならないものだろうか。
断言する。不衛生な布マスクなんて、あれはインチキ新興宗教に過ぎない。

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以上は、前にも話した私の教え子の言である。
先日、拙宅にやってきたので、庭にテーブルを出して、ぽかぽか陽気のもと、ビールを飲みながら、よもやま話をしたのである。どうせ、酔っ払いの言である、笑って聞いていたが、どんな笑いの中にも、多少の真実は隠れている。