ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

筑駒文化祭。褒めて育てる。楽しい見世物、童形と時分の花。

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子供は褒めて伸ばすという。人は誰でも、褒められたい存在だから、まして素直な子供のころは、褒められたくて仕方がない。

安直な誉め言葉は、子供とはいえ、相手に見透かされる。
しかし、褒められた当人からしたら、見透かしても、やはり褒められたのだから、何割かは嬉しい。
褒めることは、褒める側にも、褒めらる側にも、プラスに働く。みんなハッピーである。

たとえば、物事の批評は、褒めることが第一で、けなす必要はない。けなすより無視すればいい。無視が一番強烈な否定であって、わざわざ、まな板に置くまでもないことである。

誉め言葉は、とりわけ、教育現場では大切で、ほとんどこの一手しかないくらいである。否定的な言動は厳に慎まなければならない。


先日、筑駒中高の文化祭について述べたが、褒めることを忘れていたので、少しく付け足す。

去年、演劇は、既成の原作を使って演じるよりは、むしろ自由に脚本を書き、演出して、仕上げたほうがいいし、できるはずだと書いた。
在校生がそれを読んだかどうかは知らないが、今回の文化祭では、演劇系はほぼ自作のようだった。
ようだった、というのは、すべて見たわけではないし、スタッフに確認したわけでもないからだ。

結局、3本見たのだが、その中で、3CHRの「50RT」について言う。

風刺っぽい、ありがちな内容だが、うまくまとめていた。
特筆すべきは、鈴木秘書役で、演技なのか素なのか、わからないほど、キャラの面白さがにじみ出ていた。陽菜役も自然な演技でよろしい。他の演技者も、ほどよい抜け感と、手作り感があった。この分では、来年も来るか、と期待させる。

ところで、筑駒文化祭に先立って、某進学女子中高の文化祭に行ったのだが、中学演劇部と高校演劇部との格差にがっかりしたのだ。
圧倒的に中学生がいい。
理由を考えるに、男女問わず中学生は 、世阿弥流に言えば、時分の花が盛りである。童形が残っているので、何をしても可愛らしい、幽玄である。
一方、高校生、特に女子高生はもはや大人である。しかし、20歳過ぎの女性の落ち着きというか、安定がない。演技力は子供である。外見と実力とのギャップが大きすぎる。
高校生と違って、中学生は、なんといっても姿がいい。そこそこの演技で、形になる。


映画演劇絵画彫刻、その他諸々は、人に見せるのである。つまりは「芸術」は見世物である。見世物には花がなくてはならない。その花は、素人の場合、外見に尽きる。


さて、話を戻すと、進学率が高いだの、三大行事だのと、身内または贔屓がどんなに騒いでも、結局、見世物である。見に来ていただいた人々に、楽しんでもらわなければ、何にもならない。
子供たちが文化祭に取り組むことによって、成長したという。それはそうだろうが、来訪者あっての、達成感である。多くの参観者がなければ、学校行事としても失敗なのである。

この辺りを、よく考えて、他の行事とは、違う意識を持たなければならない。
人を楽しませることが、どんなに難しいかわかるだろう。落語家は自分では笑わない。
筑駒文化祭は知名度がある。学校も子供たちも、PRに余念がない。大きく露出するのなら、それに見合った内容を示さなければならない。

とはいえ、ご想像の通り、出来栄えはともかく、中高の文化祭は面白いものである。

 

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キャラの立つ布陣。

 

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豪華なパンフレット

 

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熱演。