ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

格差社会は本当か。学部選択と就職は、平等である。

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日本は格差社会である、という。
他人との差異を求めるのが人間の本性であるから、格差のない社会はあり得ない。
何度も繰り返して恐縮だが、荷風先生の言がある。現代人は、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、自分でもそう信じたい。優越を感じたいという欲望が強い云々。
楽をして高給を稼ぎ、他人から羨望され、おまけに敬意を持って遇してもらえれば格別である。

そういった立場になるための単純な方法が、いわゆる学歴だったが、ことは簡単ではない。学歴というものを子細に見れば、業種に過ぎないことがわかる。就職先である。仕事内容である。
ただし芸人は除く。あれは堅気ではない、「それ者」である。

さて、皆さん御贔屓の東京大学を卒業しても、家でぶらぶらしていれば、ただのバカと噂される。中央官庁、霞が関部落に入るなり、大企業に就職して、はじめて東大卒が輝く。

地方の駅弁またはバス停大学を出たって、医学部卒なら医者になれる。医師で開業すれば、世間では「勝ち組」である。
大学病院は、それなりの権威がある。勤務医も悪くない。多くの医者は、いくつか大病院回りをして、権威付けをする。そのついでに現場で多少の知識と技術とを得る。やがて開業、または勤務医、医学部に残って教員となる等々。
だから、大学は極端に言えば、どこでもいい。医学部に入ることが先決である。

 

法科も、検事判事になるならともかく、自由業の弁護士になるのなら、出身大学は関係ないとすら言える。司法試験に合格できるかどうかが、問題だ。
昔は司法試験が厳しかったから、合格者は、法的実力の持ち主で、弁護士稼業も個性を活かした者が散見できた。現在の法科大学院制度は失敗である。

格差は個人の努力で何とかなる。
日本は、人種的に均一なので、あえて言う、人種が均一かつ同一なので、門地門閥で、区別しないし、差別しない。勉強する者の足を引っ張らない、むしろ応援する。応援しないまでも、邪魔はしないだろう。

君が夜遅くまで勉強していると、両親は君を部屋から追い出したのか。勉強なんかせずに、山から薪をとってこい、川から水を汲んで来いと命令されたのか。

平等に甘えると、平等が有難くなくなる。だれもが、当たり前に生活し、当たり前に就職できると考えてしまう。しかし、それはどこか変である。

幼少から小説好きで、文学部へ進学を希望した少年が、祖父に文学は楽しみである。大学で学ばなくてもできる。大学でなければできないことをやれ、と諭されて、理学部に進んだという。至言である。

某国の某大学教員は、学生個々人に、大学に収める授業料以上の収益が得られるように、日々努力しているそうである。

格差はどこにあるのか。
本人の実力以上に収益を得ている者と、能力並みの収入を得ている者と、実際の労働に見合った収入を得ていない者とにある。
その原因の多くは、現実に怒らない日本人の優しさと、諦念と、ありえないほどの平等感覚にある、と言いたいのだが、どうか。