ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

中高生に告ぐ。スマホで目を悪くするよりも、フロイト全集を読め。兄弟より、姉妹は難しい。

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知人が言う。

中学生の頃、たまたまフロイトを読んで、たちまちにとりこになり、夢中になった。
中学生といえば、身体も精神も、疾風怒濤の時期である。勝手に苦しんだり、戸惑いもしたが、そんな時、フロイト全集で、どれほど救われたことだろう。
性は、だれもが持つ不思議な闇である。闇といえば、負のイメージのようだが、そうではない。生物の深奥の混沌を指すのである。

性とは愛でもある。
愛は様々な形をとる。母性愛、父性愛、異性愛、同性愛、物性愛、自己愛、その他様々である。
性愛という言葉に奇異の感を持つのならば、好みと言い換えようか。傾向とも、癖とも、趣味とも、雰囲気とも、言ってもいい。言葉で簡潔に説明しようにも、対象が流動して固定できないから、とらえようがない。まさに、闇である。
何を言っても正しいし、間違ってもいる。すべては個々人の問題で、答案は自分自身で書くしかない。正解は、ひとり一人が、自分なりに折り合いをつけるしかないのである。

 

折り合いで思い出したが、母と男子に比べて、母と女子とは難しい。父と男子に比べて、父と女子とは難しい。
なんだそれなら、息子より娘が常に難しいのか、と言われそうだが、その通りである。しかし、実際は、人それぞれである。あなたが納得すればそうであるし、しないのならばそれでいい。

娘は生まれた時から外に出ることを考える。息子は家に戻ることを考える。当否を言うのではない。大方の事実を言っている。

女子は目が外にある。男子は中(家)にある。娘は家を出て、再び帰らないことを願うし、息子は家を出ても帰ってくることを願う。現にそうなる。女子は嫁ぐという、男子は継ぐ、と言うではないか。

 

姉妹は不幸だという。姉が美人で妹が不美人なら、何事にも比較される。姉にその気がなくても、妹のほうは、拗ねる僻む妬む、ついには憎む。 両方とも相応の美人であることは滅多にない。あればあったで、どこかに差を見つけようとする。当人がしなくても、他人が評価する、区別する、差別する、陰で笑う。ならば、女の子は一人娘が最高で、姉妹なんか、ないほうがいい。二人なら、兄弟のほうがよほど気楽だ、と知人は言うのである。

男子には、美人という形容をしない。不思議である。女にあるのなら、男にもあるはずだが、美人は女専用である。男には、外形の美しさよりも物理的な力を優先したのである。古代ギリシャも然り、あれは兼備を良しとしたのである。ごくまれに、男子も、才知を出し抜くほどの美を持つことがある。結果は悲劇が多かった。
とすれば、兄弟には姉妹のようなわだかまりは、まだしも少ないだろう。

フロイトが、エディプスコンプレックスを説いたのは、男子でユダヤ人であったからだ、と何かで読んだ。たぶんそうだろう。 ユングも、我儘なプリンスだった。こんな二人が仲良しになれるわけがない。互いに自分が主役である。主役は二入も、いらないのである。

かつて小林秀雄が、自分は観客のままでいることができない。我慢できずに舞台にかけ上るだろうと話した。正直である。自分で演技できなくても、他人の真似には自信があったのだろう。真似は、演技の始まりだから、許されたのである。

話が、あちこちしたが、十代の諸君は、スマホピコピコで喜んでばかりいないで、たまにはフロイト全集をじっくり読めと、言いたいのである。どうせ春休みは、暇なのだろう。