ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

中学受験は、楽しいゲームである。受験ゲームの主役は、親か子供か

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中学受験が始まった。来月、2020年1月は、中高一貫校の受験日である。各中学を目指す子供にとって、連日、わくわくと興奮する時期である。

中学入試は、子供の楽しい娯楽であり、ゲームであるけれども、費用がかかる。家庭経済の事情で、受験ゲームができる子とできない子とがいる。仕方がない。

 

公立の中学生にとっては、高校入試は少しく異なる。やや人生行路が茫漠と見えてきた。覚悟の必要なゲームである。

高校生及び浪人生にとっての大学入試は、ゲームを通り越して、時候の挨拶のようなものだから、論の外に置く。

 最難関中学の入試は、以前にも書いたが、半年、または3か月の準備で受かる。受からなければならない。それでも落ちてしまうのは、能力である、運である、某塾や6年担任の責任である。そう思って、笑って済ませるがいい。

 

近年、だれもが簡単に国立私立の中学を受けすぎる。この流れは昔からあったけれども、まだ常識の範囲内だった。受けるのは、それなりの子供だった。
それがどうだろう。猫も杓子もである。並か並以下の学習状態の子らが、A校B校C校だのを受験する。
あのな、お前程度で、某中学受験はいくらなんでも洒落がきついぞ、と言いたいが言わない。
こんな連中でも、まれに受かることがある。受かったのだから、教員は感謝されると思いきや、恨まれる。憎まれる。子から恨まれるというより、親から憎まれる。受かったのは、なにより、6年担任の1年間の薫陶のおかげであるのに、塾またはわが子の潜在力だと、親は勝手に信じ込む。

あれもこれも、つい、実力不相応だと、本音を口走ったためである。
だから、担任教員は、親子の無謀な挑戦にも、微笑んで首肯していればいいのである。


筑駒、灘、開成中学等の受験ゲームでは、コントローラーを動かすのは、子供本人ではなく、むしろ親である。親自身の趣味であり娯楽であり病気である。
親が勝手に盛り上がって、自分の子供は、できるイケる受かる、と勘違いする。親子で手をつないで、鏡を見ればわかりそうなものなのに、わからない、わかりたくない。

受験ゲームは、子供のみならず、より強く親自身の楽しみであり、暗い欲望なのである。
それは微笑ましいというより、他人からは、少しく嘔吐感のある嬌態である。

所詮、ゲームである。大げさに考える程でもない。合格したからといって、ロバはロバ、スズメはスズメである。名馬になれるわけでも、鷹に変身できるわけでもない。

何事も、入学した後のことである。13歳からの3年または6年間の過ごし方次第である。

中学受験ごときを、大げさに考えてしまう子供が、もしもいるのなら、上の事々を、親自らが、我が子に言って聞かせるがいいだろう。

 

 

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以上は、某居酒屋で、年配の元教員から聞いた話である。

今時、中学受験日が近づくからといって、悩んだり焦ったり苦しんだりする小学生はいないだろう。どうせ遊びであること、ゲーム世代は先刻ご承知なのである。