以下は2020年7月1日の記事。本日は2022年1月20日である。
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どうにもこうにも、コロナごっこが止まらない、止まらせない。
あそこで、何人、ここで何人と、「感染者」とかの数字をあげつらう。
バカバカしくって、聞いてはいられない。
あのな、感染はとっくに広がっている。もしも、まだ十分に広がっていないのなら、感染力が弱すぎる。心配するには及ばない。
多くは、すでに感染してとっくに自然治癒している。どうやら日本人の大部分は、そもそも、感染しない、または極めて感染しにくい体質なのではないか。
いったいぜんたい、コロナウイルスがそんなに心配なら、国民からふんだくっている税金のほんの一部を使って、全国一律に、とことん、感染検査をすればいいだろう。
それをなんだろう。特定地域の特定分野に限って検査して、結果がどうのこうのと、新聞テレビで大騒ぎする。
本音は、自分が再選されたい、または、現職にいつまでもとどまりたいという、利己的欲望のみである。宣伝である。選挙運動である。
マスコミもまた、コロナごっこが大好きで、現職政治屋の大政翼賛会であること、先の戦時中も顔負けである。
そもそも、死にかかっていた新聞が。コロナで息を吹き返した。ネットに押されていたテレビ局は、空前の視聴率を得て、沸きに沸いている。
テレビなんて、潰れればいいと考える人が増えて、この数年、青色吐息だったテレビ界は、コロナ景気で生き返って、笑いが止まらない。
テレビにとって、「新型コロナウイルス感染」というお題目は、決して手離してはならない金蔓である。
永遠に、ありもしないコロナウイルスの恐怖を煽って、テレビを情報伝達の中心にしておこうと、必死である。
「感染確認者数」が、新宿の次は池袋が増えた、という。へーえ、そうかい。
次には上野か新橋か、それとも品川か? どうせ山の手線を一周する気だろう。ひと月はゆうに話題が作れる、とニンマリである。
各学校は、ぶったるんだ大学を除いて、ほとんどが通常の授業に戻った。当然のことである。
子供は、気の毒に、不必要なマスクをして、息苦しそうに授業を受けている。
やれやれ、コロナの壮大な実験は、ちと薬が効きすぎたようである。
しかし、この実験は、人は簡単に騙される。テレビ新聞マスコミを無批判に受け入れて、流れに乗っかかって、同調を楽しむものだ、ということが、再確認されたのである。
どこまでも続く、無限に愚かな人の群れ。と、古人は言った。
ーーーーー旧記事以上ーーーー
さて、2022年現在に戻る。
一体全体、これほどコロナウイルス感染を、マスコミ・テレビが大騒ぎするのは、自分を目立たせたいこと、金が欲しいこと、の2点からである。
マスコミを信じる国民は、選挙民でもあるから、政治家(こう書くのは抵抗がある。政治屋、政治稼業とでもいおうか)は、マスコミの顔色を窺って行動する。
それを知っての上での、マスコミの報道(と書くのも抵抗がある。あおり扇動洗脳とでもいおうか)である。マスコミの罪はいかにも大きいが、喚いて注目を浴びたいのは人の常である。
あなたが教員なら、放送部の顧問をしたことがあるか? 言わんとするところがわかるだろう。人は誰でもマイクの前でしゃべりたい。全校生徒に、自分の声を聞かせたいのである。
高揚感である、優越感である、流行りの「いいね!」がほしい。高評価お願いします!である。
大人も同じことである。マスコミは、組織的にする。金までふんだくる。悪質である。脅す、騙す、誘導する。自己肯定感の塊で、性根が金銭と売名だから、始末が悪い。
結局、マスコミの口先を、信じる信じないは、国民自身の民度による。
コロナウィルスごっこ、コロナ騒動を止めさせるには、国民が冷静な判断をするしかない。ごく普通の常識を働かせれば、この数年のバカ騒ぎのウイルスとやらは、たかが風邪のひとつであることが、子供でも直ちに分かるだろう。